長沼 公立 学校 発祥之碑
ながぬまこうりつがっこうはっしょうのち
室蘭本線 栗山駅から西に3.5km、栗丘駅から南に3.4km、発祥公園(夕張郡長沼町東)の東の隅に台座に扇形の石碑を乗せたモニュメントがある。発祥公園は、旧長沼町立長沼小学校の跡地であり、現在も碑は残されている。石碑には「学びや 長沼公立学校発祥之碑」と刻まれ、裏面には長沼町開基100年を記念して建立されたことが刻まれている。
長沼の教育の始まりは、開拓初期の明治24年(1891)にさかのぼる。同年12月、長沼開拓の第一鍬者である吉川鉄之助が、児童教育の必要を認め、東1線北18番地に私設の上長沼小学校を設置した。これは長沼町史が「教育の初め」と位置づけているものである。
その後、明治26年(1893)には、吉川鉄之助が設立していた上長沼小学校が夕張郡の公設となった。したがって「長沼公立学校発祥之碑」は、開拓民による私設教育から公立学校へ発展した長沼の学校教育の起点を記念するものである。
さらに明治28年(1895)12月には、道庁補助と村費によって長沼尋常小学校が開校した。これは修業年限3年で、この時点で村内には学齢児童529人がおり、そのうち入校者は男子18人、女子10人であった。長沼尋常小学校は明治34年(1901)に東2線北17番地へ移転している。
現在の発祥公園には、この長沼公立学校発祥之碑のほか、旧長沼小学校の「追憶」の碑、初代戸長吉川鐵之助の碑、二宮金次郎像なども残されている。
長沼公立学校発祥之碑
— monta7jp@camera (@monta7jp_camera) October 8, 2023
前にも上げたけどこれはフィルム版#PENTAX SL#film
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写真
碑文
学びや
長沼公立学校発祥之碑
本町の教育は、明治二十三年(一八九〇)岩隈作次郎の納屋で私塾を開いたのが始まりである。次いで明治二十六年(一八九三)十二月、岩手県人吉川鐵之助らによって東一線北十八号に私設長沼小学校が建築され寺子屋式の教育が行われるようになり、明治二十八年(一八九五)十二月、本町最初の公立長沼尋常小学校として認可された。
その後、明治三十四年(一九〇一)一月、東二線北十七号に校舎を移転、さらに、大正十年(一九二一)七月、上長沼尋常小学校の併合認可を受け、翌年三月、東三線北十七号の現在地に新校舎が竣工した。平成九年八月
第二区発祥公園整備期成会
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