共同防除 発祥之地
きょうどうぼうじょはっしょうのち
信越本線 川中島駅から西に約3km、県道383号沿いの中組公民館脇の狭い路地を入り林檎畑の斜面を登って行くと、中腹に立派な石碑が平地に向かって建っている。道路は軽トラが1台通れるかという農道だが、扱いは市道になっているという。農道完成碑もあり、当碑と同年代頃に道路が整備されたようだ。
何度も近くを通りかかっては探してみて見つからなかったが、元ネタとなった長野電波技術研究所に問い合わせてみたところ即答していただいた。
写真
碑文
共同防除発祥之地
農学博士 梶浦 実書
賞記
長野県更級郡篠ノ井町
麻久保共同防除組合殿共同防除の創始者としての功労に対し園芸学会はその定めるところにより園芸学会菊池賞功労賞を贈呈する
昭和三十二年四月七日
園芸学会
会長浅見与七
篠ノ井市西部の地に優秀なるりん𛀸゙産地として夙に名声髙く就中麻久保組合は昭和二十六年当時猖㹟を極めた病害虫の撲滅と経営改善のため創意工夫と組合全貟の努力を傾注して遂に定置配管式りん𛀸゙園共同防除施設を完成し顕著な成績を𭣣めるに至ったこれが実に全国最初の共同防除施設として共同防除の機運は全国を風菲しその普及に率先垂範した功績は洵に偉大である茲に共同防除十周年を迎えるに方り発祥の地を選び有志相図り記念碑を建設し輝かしい偉業を永遠に記念するものである
昭和三十六年五月二日
共同防除発祥地記念碑建設委員会
後援 長野縣
全国園藝各種團体
「𛀸」は変体仮名の「こ」