松島炭鉱の発祥の地

まつしまたんこうのはっしょうのち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

松島港から南西に1.4km、県道199号沿いの建屋の外壁に、なんとも味わいのある看板が掲げられている。現在、松島(長崎県西海市大瀬戸町)には松島炭鉱第4坑跡、第2竪坑跡、巻揚機庫跡、変電所跡、守衛室、送電電柱などの遺構が保存され、平成27年(2015) に長崎県指定史跡となった。

松島は、江戸時代から石炭の採掘が行われてきた炭鉱の歴史を持つ島である。松島周辺での石炭採掘は、天明元年(1781) に松島の北側に位置する串島で始まったとされる。その後、松島本島にも採掘が広がり、事業者を変えながら石炭の生産が続けられた。文化年間には複数の場所で採掘が行われており、伊能忠敬の測量日記にも、文化10年(1813)に松島を訪れた際の炭坑の様子が記録されている。

近代炭鉱の開発は、明治39年(1906) に古賀善兵衛が開発に着手したことに始まる。三井鉱山は大正2年(1913) にこの炭鉱を買収し、同年1月25日に松島炭鉱株式会社を設立した。大正3年(1914) には松島外浦で第4坑の開削に着手し、大正5年(1916)に出炭を開始した。第4坑には第2竪坑が掘られ、煉瓦造りの巻揚機庫や変電所などが設置された。

松島炭鉱は坑内への出水に悩まされながら操業を続けたが、昭和9年(1934) 11月25日、第4坑で大規模な出水事故が発生し、54人が犠牲となった。この事故を受け、松島での採炭事業は昭和10年(1935) に中止された。同社はその後、大島鉱区の開発に転じ、さらに池島へと事業を展開していった。

写真


碑文

山ノ神

この地区を山ノ神地区といって松島炭鉱の発祥の地です。明治38年に佐賀銀行の創立者、古賀善兵衛が三菱合資会社の後を買収して事業に乗り出し明治39年に第1坑、続いて第2、第3坑を開拓し、採掘が始まります。大正2年2月1日(1914年)に資本金二百万円で松島炭鉱株式会社が創立され、翌年大正3年には第4坑に着手します。
当時の技術では難しかった出水防止の為、セメント液注射工法を取り入れ、大正6年深さ135メートルの竪坑を完成します。ところが、大正5年に第2坑が水没、大正8年に第1坑も水没した為、順調な伸びを見て、大正6年から更に51万5千トンを記録し松島における石炭産業の全盛期にはいっていきます。
また、当時は炭鉱関係者に加え船舶関係者などでこの地区は隙間がないほど住宅が建ち、島の人口は1万3千人以上だったといわれています。

松島桜坂まつり実行委員会

地図

地図

西海市大瀬戸町松島内郷 付近