明薬 発祥之地
めいやくはっしょうのち
地下鉄有楽町線 麹町駅から 赤坂プリンスホテルに向かう道を南へ300m。文藝春秋ビルを過ぎて城西大学の南隣に, 道路から少し引っ込んだ位置に6階建てのやや小ぶりな ビル“剛堂会館”がある。道路に面したところに黒御影石の“門”が建っていて, その中心に茶色の石碑が建つ。
明治薬科大学は,明治35年(1902) に 初代校長である恩田重信氏により「東京薬学専門学校」 として設立され, 明治4年(1907) に麹町区紀尾井町のこの地に移転してきた。大正8年(1919) 麹町区中六番町に校舎を新築移転, 紀尾井町校舎は東京女子薬学校専用になる。その間「神田薬学校」「明治薬学校」「明治薬学専門学校」と名称を変えながら, 昭和24年(1949) 新制大学「明治薬科大学」となった。
現在地は 東京都清瀬市。
写真
碑文
朙藥發祥之地
明薬は明治三十五年四月医薬分業確立を理念として学祖 恩田重信先生により創立され 同四十年七月現在地に明治薬学校々舎を建つ
爾来震災戦災のため麹町笹塚野沢田無と変遷するも今日の大明薬に発展せしは創学精神の継承による茲に発祥の地を明記する碑を建て母校の発展を祈り明薬史の道標となす昭和五十一年六月吉日
明治薬科大学同窓会 明藥会
会長 太田哲郎建立委員長 吉田亀之助
出身者 小竹為成書
1902年(明治35年)
明治薬科大学
開校記念碑