メニコン コンタクトレンズ 創業の地
めにこんこんたくとれんずそうぎょうのち
東海道線・名鉄名古屋線 木曽川駅の東、東海北陸自動車道 一宮I.C.のすぐ西の道路脇。創業者 田中恭一氏の生家にも、学徒動員された工場にも近い、白山神社の前に田中氏を顕彰する石碑が設置された。平成23年(2011) 6月 除幕。
メニコン創業の地に通りがかった#メニコン pic.twitter.com/E0yhYjgq12
— うさみん(*・ω・)ノ@ありがとう (@dama_wakyou) September 30, 2017
写真
碑文
メニコンコンタクトレンズ創業の地
1951年 日本初の
角膜コンタクトレンズ
完成
Menicon
創業の精神 ものづくりの心 この地に
コンタクトレンズを生み出した
㈱メニコン創業者 田中恭一の道程昭和6年、田中恭一は、この地、木曽川町に生まれ、
木曽川の河畔から約3キロの生家で26歳まで過ごす。
名古屋市の老舗眼鏡店 玉水屋に勤めていた20歳の頃、
来店した米軍将校婦人が、当時世界でも珍しかった
コンタクトレンズを持っていたが、どうしても見せてくれなかった。
「それなら自力で作ってやる」と決意し、見たこともなかった
コンタクトレンズというものを、全くの独学で研究し、
昭和26年、この地で日本初の角膜コンタクトレンズを開発した。
以後、コンタクトレンズのパイオニアとして、日本のみならず、
世界に貢献している。