メニコン コンタクトレンズ 創業の地
めにこんこんたくとれんずそうぎょうのち
東海道線・名鉄名古屋線 木曽川駅の東、東海北陸自動車道 一宮I.C.のすぐ西の道路脇。創業者 田中恭一氏の生家にも、学徒動員された工場にも近い、白山神社の前に田中氏を顕彰する石碑が設置された。平成23年(2011) 6月 除幕。
愛知県名古屋市中区錦にあった老舗眼鏡店「玉水屋眼鏡舗」創業者の田中恭一は、同店に勤務していた昭和25年(1950) 、アメリカ軍将校の夫人からコンタクトレンズの話を聞いたことをきっかけに、その製作に取り組んだ。当時、田中は実物を見せてもらうことができなかったが、独学で研究と試作を重ね、昭和26年(1951) 、日本で初めて角膜コンタクトレンズの実用化に成功した。
角膜コンタクトレンズは、角膜を覆うように装用するレンズであり、眼鏡に代わる視力矯正の手段として重要な技術である。田中が開発したレンズは、現在のハードコンタクトレンズの原型となった。メニコンの歴史の始まりである。
メニコンの前身となる日本コンタクトレンズ研究所は、昭和27年(1952) に創設された。昭和28年(1953) には「M.T.コンタクトレンズ」の商品名で角膜コンタクトレンズを発売し、昭和32年(1957) には日本コンタクトレンズ株式会社を設立した。その後、昭和40年(1965) に東洋コンタクトレンズ株式会社へ社名を変更し、昭和42年(1967) には「メニコン」の商標を登録した。
メニコン創業の地に通りがかった#メニコン pic.twitter.com/E0yhYjgq12
— うさみん(*・ω・)ノ@ありがとう (@dama_wakyou) September 30, 2017
写真
碑文
メニコンコンタクトレンズ創業の地
1951年 日本初の
角膜コンタクトレンズ
完成
Menicon
創業の精神 ものづくりの心 この地に
コンタクトレンズを生み出した
㈱メニコン創業者 田中恭一の道程昭和6年、田中恭一は、この地、木曽川町に生まれ、
木曽川の河畔から約3キロの生家で26歳まで過ごす。
名古屋市の老舗眼鏡店 玉水屋に勤めていた20歳の頃、
来店した米軍将校婦人が、当時世界でも珍しかった
コンタクトレンズを持っていたが、どうしても見せてくれなかった。
「それなら自力で作ってやる」と決意し、見たこともなかった
コンタクトレンズというものを、全くの独学で研究し、
昭和26年、この地で日本初の角膜コンタクトレンズを開発した。
以後、コンタクトレンズのパイオニアとして、日本のみならず、
世界に貢献している。
コメント