美濃源氏 発祥の地
みのげんじはっしょうのち
中央本線
ここ八幡神社は,かつて
美濃源氏は 清和源氏である光衡が美濃国土岐郡に土着し,土岐氏を名乗ったのが起源で,土岐一族の総称。鎌倉時代から室町幕府に勢力を広げ,美濃の守護大名となり,それ以降 明智氏・原氏などの支流が美濃一円に広がった。土岐氏宗家は戦国時代に没落した。
2017年に訪れると、全体的に苔等が落とされ綺麗になっているような印象。
写真
碑文
美濃源氏発祥之地
土岐氏一日市場館跡瑞浪市長 渡辺遥三書
鎌倉時代美濃国守護となった土岐光衡はこの土岐邑一日市場に居館を設け神戸城と称して美濃国統治の本拠とした
室町時代初代美濃国守護に任ぜられたその曾孫頼貞も同様この地を中心にして国を治め以降十数代に亘って美濃国守護として栄えた美濃源氏土岐氏の礎を開いた
昭和四十八年十一月吉日建立
土岐氏一日市場館史蹟碑建立委員会贈 碑石 大鍬財産
美濃源氏発祥の地
美濃源氏とは平安時代末期から鎌倉時代にかけて美濃各地に住んだ土岐一族・家臣の総称である。源頼朝に仕え,美濃国守護となった
土岐 光衡 はこの地(神戸城・国府野城・神箆城などと称した)にあって勢力を伸ばし,子孫は鎌倉幕府とともに栄えた。鎌倉幕府の滅亡,建武中興以降 足利尊氏の興隆に伴って美濃国守護に任ぜられた土岐頼貞 は光衡の曾孫である。頼貞は後に高田(土岐市久尻)に移るまでこの地に居住し,室町時代十一代にわたり美濃国守護として権勢を誇った土岐氏中興の祖である。土岐氏遺蹟顕彰会
明智光秀公ゆかりの地
土岐源氏ここに発祥す