桃太郎 伝説 発祥の地
ももたろうでんせつはっしょうのち
近鉄
「桃太郎」は日本人なら知らない人はいないポピュラーな昔話。桃太郎伝説の発生は室町時代前後と考えられ,江戸時代中期の“草双紙・赤本”に紹介されたことで広く知られるようになったが,その原形は神話に遡るとされ,古事記や日本書紀に出てくる“
この地
田原本の玄関口 近鉄 黒田駅や法楽寺周辺には、桃太郎生誕の地であるという表示が複数ある。
岡山は備後・備中・備前・美作を合せて 古くは“吉備国”と呼ばれていて,吉備津彦によって平定されたとされたとのゆかりがあり吉備津神社がある。香川県高松市には“鬼無”という地名があって,桃太郎が鬼ヶ島から鬼を退治して 鬼がいなくなった場所とされている。
犬山市には その名もずばり“桃太郎神社”があって“桃太郎誕生の地”と称して 桃太郎に関する像が多数置かれている。
蛇足だが,福沢諭吉が子息のために書き与えた教訓集『ひゞのをしへ』の中で次のように記しているのは興味深い。
桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝をとりに行くためという。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にしまっておいたもので,宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝をわけもなくとりに行くとは,桃太郎は盗人と言うべき悪者で,もし鬼が世の中に害を成すことがあるならば,桃太郎の勇気でこれをこらしめることはとても良いことだが,宝をとって家に帰り,お爺さんとお婆さんにあげたとすれば,これはただ欲のための仕事であり,卑劣千万である。
写真
碑文
桃太郎伝説発祥の地
「日本書紀」の崇神紀によると,四道将軍の一人彦五十挟芹彦命(吉備津彦)は,朝廷から遣わされ西海を平らげ,その後,出雲振根を誅したと言う。『古事記』の孝霊記では,弟の若日子建と共に吉備を平定した事が伝えられている。
後世の桃太郎の話は,その吉備津彦をモデルにして成立したと考えられる。
『記紀』は共に,吉備津彦の父にあたる第七代の孝霊天皇の都を黒田盧戸宮と記しているが,それはこの黒田・宮古の地に比定しうる。
また,田原本町は,川上から男子が流れてきて神様になったという伝説を残し,万葉集に詠まれたように桃の名所でもあった。
現在,岡山・高松・鳥取県日野地方などの各地に吉備津彦兄弟や孝霊天皇の鬼退治伝説がある。そういう意味で,田原本町が桃太郎伝説発祥の地と言えるであろう。二〇〇四年五月
新年年紀にむけ,平和への祈りをこめて
田原本町
田原本町商工会