盛岡中学校 濫觴の地

もりおかちゅうがっこうらんしょうのち

盛岡駅の東1km。盛岡公園にほど近い 岩手銀行本店(盛岡市中央通1-2-3)の横, 歩道脇の植込みの中に, 石川啄木の「盛岡の中学校の……」の歌が刻まれた赤茶色の御影石製の石碑「盛岡中学校濫觴の地」が建っている。この碑は 昭和58年(1983)11月に建てられた。

ここは 旧制盛岡中学校(現 岩手県立盛岡第一高校)の跡地である。同校は, 明治13年(1880)に「公立岩手中学校」としてこの地に設立された。その後 「岩手県尋常中学校」「岩手県立盛岡中学校」などと改称し, 大正6年(1917)に 現在地(盛岡市上田3丁目)に移転した。

戦後 昭和23年(1948)に「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称し, 現在は 男女共学となっている。県内の高等学校の中では最も長い歴史を有する。

石川啄木は 盛岡高等小学校から盛岡中学校まで(10歳から17歳まで)盛岡で送り,明治38年(1905)に 19歳で結婚した後も盛岡で新婚生活を送っている。

写真

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碑文

盛岡中学校濫觴の地

盛岡の中学校の
露台バルコン
欄干てすり最一度もいちど我をらしめ

石川啄木

地図

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盛岡市中央通1丁目 付近 [ストリートビュー]