麦焼酎 発祥地

むぎじょうちゅうはっしょうち

九州本島と対馬の間,唐津市鎮西町からおよそ40km北西に壱岐島がある。島の南部,国道382号で郷の浦港から印通寺港に行く途中(壱岐で一番高い山“岳の辻”の北麓)に玄海酒造(壱岐市郷ノ浦町志原西触550-10)の酒蔵がある。蔵の道路面に「麦焼酎発祥地」と書かれた 一升瓶をかたどったモニュメントが建っている。

壱岐は「魏志倭人伝」にも名前が現われるほど古くから 日本と中国大陸とを結ぶ文化交流の要衝の地であった。この壱岐島に16世紀ごろ,麦を原料として中国から伝わった製法で壱岐独特の焼酎が生まれた。このことによって壱岐は「麦焼酎発祥の地」と言われる。

焼酎の歴史は15世紀ごろに伝えられた蒸留酒を基に琉球で開発された“泡盛”に始まる。その後、薩摩に伝えられ室町時代(16世紀)には 鹿児島県で広く生産された。

初期には米を原料とした米焼酎が,江戸時代になると栽培が始まったサツマイモを用いた芋焼酎が主に造られたが,麦焼酎は長くマイナーな存在であった。麦焼酎が商業ベースで大量に製造されるようになったのは,1970年代以降の大分県で,これが焼酎ブームに乗って“大分麦焼酎”の名前で全国に広まった。


その後、モニュメント等の敷地内レイアウトがすこし変更になったようだ。

写真

  • 麦焼酎発祥地
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碑文

麦焼酎発祥地

むぎ焼酎 壱岐
明治33年創業

地図

地図

郷ノ浦町志原西触 付近 [ストリートビュー]