棟方志功 躅飛 飛沫 隈暈 発祥之処
むなかたしこうちょくひひまつわいうんはっしょうのところ
極度の近視で版木に顔をこすりつけるようにして‘板画’を彫ったことで有名な棟方志功は青森生まれ。戦時中にここ福光に疎開しておよそ7年間在住。この地の自然をこよなく愛し,精力的に制作活動を行った。
この碑は平成20年(2008) に,棟方志功の功績を顕彰するために建立された。棟方は生前「偉くなったら福光駅前に『躅飛飛沫隈暈描法發祥之處』と刻まれた大きな碑を建てたい」 と語っていたという。
写真
碑文
祈りの山『桑山』 志功 第二の故郷の山
棟方志功
躅飛 飛沫 隈暈 發祥之處題字 谷崎潤一郎
棟方志功は「偉くなったら福光駅前に『躅飛飛沫隈暈描法発祥之処』と いう大きな碑を建てたい」と高坂貫昭氏(18世光徳寺住職)に語ったこの描法は 墨を含んだ水を勢いよく振りかけ 滲みの効果を巧みに活かした独自の技法で 昭和19年に襖絵《華厳松》(光徳寺蔵)昭和21年には 屏風《松柏図》(福光美術館蔵)をこの描法を用いて描いている
棟方志功《福光法林寺径道絵巻々図》
棟方志功(1903~1975)
- 福光時代
- 昭和20年4月~26年11月まで(棟方志功42歳~48歳)
浄土真宗「他力」の影響もあり 数多くの板画や倭画などを描いた- 明治36年(1903)
- 青森市に生まれる 志功は本名 大正13年に上京する
- 昭和11年(1936)
- 民芸の提唱者 柳宗悦 河井寛次郎 濱田庄司らの知遇を得る
- 昭和20年(1945)
- 4月南砺市(旧 福光町)に戦争疎開 光徳寺及び分家に住まいする
- 昭和21年(1946)
- 12月住居を新築 現在展示館を「
愛染苑 」向かいの旧居を「鯉雨画齋 」と呼ぶ- 昭和31年(1956)
- ヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際版画大賞受賞 世界のムナカタとなる
- 昭和45年(1970)
- 文化勲章を授与される
- 昭和50年(1975)
- 9月13日棟方志功永眠 (72歳)
寄贈 南砺ロータリークラブ
創立40周年記念事業
制作 福光商工会 ふくみつ棟方プロジェクト委員会
建立 平成20年6月17日