水無瀬駒 発祥の地

みなせごまはっしょうのち

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東海道線 島本駅から北東に約1.5km、水無瀬神宮の西の鳥居を入ってすぐの足元に、石柱と碑が設置されている。

水無瀬駒というのは、将棋駒に書かれた書体による分類で、ざっと9書体が有名どころらしい。書体比較はリンク先㈱いつつのページでご覧いただけるので、是非、ご参照いただきたい。

水無瀬神社には本物が保管されているそうで、展示日をチェックして現物を見るのも目の保養になりそうですね。

写真


碑文

水無瀬駒発祥の地

水無瀬駒について

島本町においては、長い歴史の中で受け継がれてきた数多くの文化財を保存し、後世に伝えるために島本町文化保護条例が、平成二十年七月一日に施行されました。その記念すべき第一号に「水無瀬駒」が指定されました。
「水無瀬駒」は、水無瀬家で作られた将棋駒の呼び方で、約四百年以上前安土桃山時代の水無瀬家十三代能筆であった水無瀬兼成卿が駒の文字を書き、八十九歳で亡くなるまでに、中象戯(駒数九十二枚)大象戯(駒数百八枚)を始めとして、大々象戯(駒数百六十四枚)摩可大々象戯(駒数百九十二枚)の他に、駒数実に三百五十四枚に及ぶ大将棊等々七百三十七組の駒を製作しました。
駒の譲渡先には後陽成天皇、正親町上皇、関白豊臣秀次、将軍足利義昭、公家、大名、高名な武将など、徳川家康には五十三組もの駒が納められました。
駒は高級材質で知られる黄楊で作られ、先が細く薄く、手前が肉厚幅広な現在の駒の形のルーツとして兼成卿が確立させ、作者と制作年が特定できる最古の将棋駒であり、以後、高級な駒の形はこれに倣っています。
その後何時の頃荷か、これらの象戯を取捨整理して創案されたのが小将棋と呼ばれ、今日愛好されている将棋であります。

三十一代 水無瀬 忠成

地図

地図

三島郡島本町広瀬3丁目 付近 [ストリートビュー]