南部鉄器 発祥之地
なんぶてっきはっしょうのち
東北本線・いわて銀河鉄道線 盛岡駅の東 1.5km。 肴町商店街に面して 花の茶や(盛岡市肴町5-4)というとうふ料理店がある。この店の裏にある駐車場の奥に やや小型の石碑が建っている。「南部鉄器発祥之地」の青い文字は 南部家第45代当主 南部利昭氏(現・靖国神社宮司)の揮毫になる。
南部鉄器は、盛岡を中心とする旧南部藩の地域で生産される「鋳造の鉄器」のこと。江戸時代初期に 時の南部藩主が京都から釜師(初代・小泉仁左衛門)を招き, 茶の湯釜を造らせたのが始まりといわれる。以来 藩が保護育成に努め多くの鋳物師・釜師を召抱えたこと, 良質な原材料に恵まれたことにより発展を続け, 製品も茶釜から日用品にいたるまで 広い用途に応じていた。
有名な南部鉄瓶は 18世紀になって茶釜を小ぶりにして改良したもので, 一般の人にも手軽に用られるようになった。南部鉄器は その優れた品質により多くの人に親しまれ, 岩手県が誇る 日本の代表的伝統工芸品として独自の地位を築いてきた。
この場所は, かつて「御釜屋」(小泉仁左衛門家)があった場所で, 2004年までここで営業していたが, その後現在地(盛岡市三ツ割)に移転した。 したがって ここは「南部鉄器発祥の地」とされる。
南部利昭氏は、平成21年(2009) 1月に逝去した。
2017年版までのストビューには写っていたが、2018年版以降では見られない。こんな裏口に隠れた場所なのを不憫に思い移設されたものと思われるが、どこにあるかご存知の方はぜひともご連絡を。
写真
碑文
南部鉄器発祥之地
昭和五十八年九月十一日
南部利昭
南部鉄器は初代仁左エ門が一六五九年二十八代南部藩主重直公に釜師として召抱えられ南部釜を創作したことに始まります。
その後三代仁左エ門が鉄瓶を創作し長年に亘り藩の特産品として世の評価を得てまいり ました。
近代は更に種々の鋳鉄品を制作し今日の南部鉄器として名声を得ております。十代 小泉仁左衛門建之
昭和五十八年十月吉日