浪花講 発祥の地
なにわこうはっしょうのち
大阪環状線・大阪地下鉄 長堀鶴見緑地線 玉造駅から西500、大阪地下鉄・谷町線 長堀鶴見緑地線 谷町六丁目駅の東500m、玉造稲荷神社分社(大阪市中央区上町1丁目8-3)鳥居脇に石碑と看板が建っている。
近世 江戸時代はまだまだ情報が少なく、安心して旅ができる状態とは言えなかったのは「足元を見る」などの慣用句からも想像できる。そんな足元を見るぼったくり商売を封じ、安心して旅ができるシステムの始まりが、大阪の浪花講だった。
参考
写真
碑文
浪花講発祥の地
奉納
- 赤福十代目 増田益嗣
- 近畿日本鉄道株式会社
取締役会長 山口昌紀- 四代目 桂 文我
- 玉造・猫間川寄席席亭 小野裕二
浪花講発祥の地
浪花講
江戸文化の大阪・玉造は、お伊勢参りの西の玄関口として栄え、多くの旅人等で賑わいました。しかし当時の旅は、ぼったくり宿や飯盛女を置く宿も多く、現在の旅のように安心して宿泊出来るものではありませんでした。そこで、全国へ唐弓弦を商いしていた松屋甚四郎とその手代・源助は、その旅の経験からこの地で一般の旅人等に安心な旅を提供しようと文化元年(1804)に優良な宿を指定した旅館組合「浪花組」を立ち上げました。講元・松屋甚四郎、発起人・松屋源助としたこの「浪花組」は天保12年(1841)に名称を「浪花講」と変更し、「ぼったくり行為の禁止」「飯盛女を置かない」「賭博行為の禁止」等の規制を設けたことにより、当時たいへん人気を呼び、大阪をはじめ京都、江戸にも世話人を置き、全国へ広がって行きました。
「浪花講」では旅館組合に加盟する宿に「浪花講」の看板を掲げさせ、一般の旅人等には「浪花講」の鑑札を渡し、宿泊の祭には必ず提示させました。加盟宿をはじめ参詣地、各地の名物名産品等、旅先の情報を掲載した「浪花講定宿帳」(旅行パンフレットやガイドブック)も発行しました。それゆえ、江戸時代後期に現在の旅のシステムを作り上げた「浪花講」は、協定旅館・旅行者の祖といわれています。The birthplace of Naniwakou
Naniwakou is the first Japanese Ryokan association established with the objective of providing safe and reliable accommodations to travelers nationwide in 1804.
Mr. Matsuya Jinshiro, a merchant, and his assistant Gensuke got the idea from their bad business trip experiences and set up Naniwakou headquarters here.
The system resolved travelers' worries about lodging and is said to be the origin of the modern Japanese travel agency.