夏みかん畑はこの場所に初めて開かれました
なつみかんばたけはこのばしょにはじめてひらかれました
阿武川下流のデルタ地帯にあるかんきつ公園(萩市平安古町164)に隣接の田中義一別邸に、「橙園之記」碑がある。碑は、小幡高政が当時の貧困士族救済のために夏みかん栽培を始めて奨励し、有栖川宮殿下に褒められたのでこの名誉を汚さぬよう頑張りなさいと後輩たちを訓戒する内容になっている。
読みづらい石碑の脇には説明も設置されている。
写真
碑文
橙園之記
橙園明治九年始開焉爾来繁殖稱至五百餘本之多始尒率先栽之萩地栽之者絶無希有人美尒一園皆植橙或疑或■而及致今日之盛大■疑■在亦僅有一弓数武之地皆倣栽之終至為萩地之名産大得内外人之嗜好喝采今茲明治廿三年六月廿四日有栖川熾仁親王殿下辱下臨尒邸一覧橙園太被嚢賞即可請尒橙園之名誉希尒子孫永保護而使斯名誉不堕地勉焉
明治廿三年七月日 藤原高政記
夏みかん畑は明治九年(一八七六)、この場所に初めて開かれました。その後、繁殖してこの畑の夏みかんは五百本余りになりました。
最初は、私(小幡高政)が率先して夏みかん栽培を推奨しましたが、その当時、萩で夏みかんを栽培している者はほとんどいませんでした。
人々は私が夏みかんを栽培するのを疑いの目で見たり、嘲笑ったりしました。
しかし、今日、夏みかんの栽培が盛んになるにつれ、そのような人々も、少しの空き地があれば、夏みかんを栽培するようになりました。みかんは萩の名産となり、全国の多くの人々に好まれ、評判の果実となりました。
明治二十三年に有栖川熾仁親王殿下が視察に来られ賞賛されました。これは大変名誉なことで、末永く橙園を保護し、この名誉を汚すことのないように勉めなさい。明治二十三年七月日
藤原(小幡)高政記