松下村塾 発祥之所

しょうかそんじゅくはっしょうのところ

山陰本線 東萩駅から南東に800m。県道11号線“松陰神社北”交差点から月見川を挟んで南側に,松陰神社・松下村塾跡・吉田松陰歴史館などが並んでいる。松陰神社の南側に「玉置 玉木文之進旧宅」があって,その前に「松下村塾発祥之所」と書かれた碑が建っている。

松下村塾は,吉田松陰の叔父である玉木文之進が天保13年(1842)に設立した私塾(第1代)で,松陰自身もここで学んでいる。その後玉木が藩に抜擢され官職に就いたため,松陰の母方の叔父にあたる久保五郎左衛門に代わった(第2代)。

ペリー来航の際に松陰はアメリカに密航を企てたため捕らえられ,萩の野山獄に幽囚された。出獄後も自宅に幽閉されていたが,その間に近隣の子弟を集めて孟子の講義をはじめ,やがて松下村塾を主宰していた叔父までが聴講するようになり,自然に松下村塾の主宰は松陰に移った(1855=安政2年。第3代松下村塾)。ここで 高杉晋作をはじめ維新の指導者となる多くの人材が育った。松陰はその3年後に,幕府の老中・間部詮勝まなべあきかつの暗殺を企て,そのため再度捕らえられ斬首刑に処された。

写真

  • 松下村塾発祥之所
  • 松下村塾発祥之所 背面
  • 玉木文之進旧宅 説明

碑文

松下村塾發祥之所

松陰先生百年祭に当り
亡父正之の遺志に依り建立

昭和三十四年十月二十七日  玉木正光

玉木(たまき)文之進(ぶんのしん)旧宅

玉木文之進(1810〜76)は、吉田松陰の叔父にあたり、杉家から出て玉木家(大組(おおぐみ)40石)を継いだ。生まれつき学識に優れ、松蔭の教育にも大きな影響を与えたほか、付近の児童を集めて教授し松下村塾(しょうかそんじゅく)と名づけた。この塾の名称は後に久保(くぼ)五郎左衛門(ごろうざえもん)が継ぎ、安政2年(1855)には松蔭が継承して、名を天下にあげるに至ったことから、この旧宅は松下村塾発祥の地といえる。
建物は木造茅葺き平屋建で、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋・3畳半の玄関・4畳半の板間と土間の台所があり、別に湯殿・便所がある。

萩市

The former house of Bunnoshin Tamaki

Bunnoshin Tamaki is an uncle of Shouin Yoshida, and much influenced the raising of Shouin Yoshida. Also, he gatherd nearby children and provided teaching. He called the school Shouka Sonjuku. This former residence can be regarded as the original place of Shouka Sonjuku.

地図

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萩市椿東 付近 [ストリートビュー]