日本温泉記号発祥の地記念碑
にっぽんさいこのおんせんきごうのえず
信越本線 磯部駅から北西に徒歩約5分。湯元長寿館前の植え込みに、「上野国碓氷郡磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」の絵図が彫刻された石碑と記念碑の案内板が設置されていたが(2002年)、2016年現在は植え込みが無く、足湯が設置され、石碑と案内板は足湯の傍らに移設、新たに発祥の地のガイダンスの説明板も取り付けられた。
元になった絵図は、群馬県立歴史博物館に所蔵されているとのこと。
一つの話題について、近くながらも飛び飛びに設置されていて、そぞろ歩きの理由にはちょうどよいだろう。なお、元湯長寿館は営業を終了したらしく看板は出ておらず、かわりにデイサービスの看板が掲げられている。
温泉記号 関連ページ
徒歩圏の近所ながらも場所が違うのでページを分割しました
- 日本最古の温泉記号の絵図 [磯部駅前]
- 日本最古の温泉記号 [磯部公園(詩碑公園)]
- 日本温泉記号発祥の地記念碑 [足湯] 《このページ》
写真
碑文
日本温泉記号発祥の地 記念碑
万治4年(1661年)今から320年前の 3月25日付の江戸評定所(現在の最高裁) 判決文「上野国碓氷郡磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」の添付図によると この地に二ヶ所の 温泉マークが記入されていました。専門家の 調査結果、これが日本最古の温泉記号であること が判りました。日本の7万軒の温泉旅館ホテルが 現在使用している温泉マークの起源といえましょう。
当時、忠臣蔵で知られる吉良若狭守の下西森 洞田・設楽家の農民が村境で草刈場の入会権を めぐって永く争い 評定所の裁断を仰いだのでした。
このマークは造物的に古今に類をみない ユニークなデザインといえましょう。
地図標示の制定は明治33年でした。
昭和56年12月
安中市観光協会
磯部温泉旅館組合
磯部温泉
磯部温泉は、誰もが知っている「温泉記号発祥」の地です。
その昔、この地域の各村が草刈り場への入会権をめぐって争いその決着を江戸評定所(現在の最高裁判所)に求めました。この争いに対して、江戸評定所は万治4年(1661年)3月25日付で判決をくだし、この時に添えられた手書きの地図(栽許絵図)の中に温泉湧出場所を示した日本最古の温泉記号が描かれていたのでした。その絵図の写しがこの敷地内にある「温泉記号の碑」に彫られています。
東鑑(1180年〜1266年)の中に「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」とあることから、鎌倉時代にはすでに温泉が湧出していたものと推測されます。その後、天命3年(1783年)浅間山の大噴火により湧出量が増したが創傷などの外傷治癒としてしか利用されておらず浴用として利用されるようになったのは、磯部温泉場開祖初代大手萬平氏が天保12年(1841年)からでした。そして明治に入ってから温泉研究の権威であるベルツ博士や医学博士の高田耕安先生をはじめとする多くの医学博士にその効能を高く評価されたことにより、年間を通して多くのお客様が訪れる温泉地となりました。また、温泉街を散策しているとほんのりと甘く良い香りがするのに気付かれたと思います。この磯部の地では明治18年(1885年)大手萬平氏が開発し、今でも温泉を利用して作る「いそべせんべい」が土産物として盛んに焼かれています。磯部の温泉は、塩分と炭酸を多く含んでいることから、煎餅の調味料や膨張剤として活用されます。焼きあがった煎餅はサクサクとした軽い歯触りが特徴のお菓子として、老若男女を問わず高い評価を受けています。