日本 近代詩 発祥の地
にっぽんきんだいしはっしょうのち
仙台駅の北100m。駅東口北側に 小公園「藤村広場」があり, ここに 自然石の発祥碑と説明板が建つ。また 藤村広場の近くの「塩竃神社」にも 同様の説明板が建っている。
仙台駅東口の北側一帯は戦前は国鉄の操車場があったとのことで, その後 無計画な市街地がスプロール状に拡がり, ゴミゴミした汚い街になっていたが, 昭和63年(1988) から「仙台駅東口第二地区区画整理事業」が大規模に行われ, 道路も街並みも一変してしまった。その結果はまだ地図にも正確に反映されていない。
明治の中頃, この地にあった旅館兼下宿屋「三浦屋」に, 島崎藤村が下宿していた。その跡地に“名掛丁藤村広場”ができ, 藤村記念碑(発祥碑)が建立された。「近代詩発祥の地」とは 意味のわかりにくい表現だが, 「藤村が 詩集『若菜集』 を出版した場所」という意味である。
碑の除幕式は 若菜集の発刊日である 平成17年(2005) 8月29日に行われた。
初恋通りにも表示があったようなのだが、再開発が進んだせいか、藤村広場に集約したいのか、ちょっと見当たらないようだ。
写真
碑文
日本近代詩発祥の地
名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡
ここ三浦屋にありて
若き島崎藤村
日本近代詩の夜明けをつげる
『若菜集』を生む平成十六年八月二十五日
名掛丁東名会 建立
碑文 仙台市長 藤井黎 書
島崎藤村と名掛丁
島崎藤村が東北学院の教師として来仙したのは明治二十九年二十四歳の時でした。木曽馬籠の生家の没落、明治女学校での教え子との失恋、そして親友、北村透谷の自殺など、東京での悩み多き生活から逃れるように仙台にやってきました。孤独と憂いを抱いて行き着いた仙台の風土は、藤村の心の傷を癒し、苦境から立ち直らせました。そして藤村の口からうたい出された詩は、日本近代詩の先駆けとなった『若菜集』として出版され、日本中で愛読されました。
その数々の試作を生み出す舞台となったのが名掛丁の下宿屋「三浦屋」だったのです。名掛丁での生活を藤村は次のように語っています。仙台の名影町といふところに三浦屋といふ古い旅人宿と下宿屋を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間の私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の台部分はあの二階で書いたものです。宿屋の隣に石屋がありまして、私がその石屋との競争で朝早く起きて机に向かったことを憶えて居ます。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海のなる音がよく聞こえて来ました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです。
『市井にありて』より
※藤村は『名掛丁』を『名影町』と書いています。
二〇〇五年八月二十九日
名掛丁東名会