日本 冷凍食品 事業 発祥之地
にっぽんれいとうしょくひんじぎょうはっしょうのち
函館本線(
この工場は大正11年(1922) に葛原猪平によって「森冷凍庫」(後に「葛原冷蔵㈱」)として創立され、北海道の豊富な漁業資源を、当時アメリカで始まっていた冷凍技術によって低温流通させ全国に供給しようとした。しかし当時の日本の食習慣では、(漁港に隣接する地域を除き、また刺身などの生食を除くと)生(冷凍)の魚はあまり消費者に受け入れられず、資金繰りに行き詰まることになった。
大正15年(1926)、経営陣が交替して社名も「東洋冷蔵㈱」と改称したが、戦時中の昭和17年(1942) 国策により、水産会社17社が統合し「帝国水産統制㈱」となり、戦後昭和20年(1945) に「日本冷蔵㈱」、昭和60年(1985) に「㈱ニチレイ」と改称された。
なお「ニチレイ」は平成17年(2005) に持株会社に移行し、食品加工部門は「㈱ニチレイフーズ」として別会社組織となった。
なお発祥碑の近くには、設立当時に設置された米国製の冷凍機が保存・展示されていて、次のような説明文が掲げられている。
写真
碑文
日本冷凍食品事業発祥之地
昭和四十四年九月五日建之
朝長巌書思えば今を去る五十年前、此処北海道噴火湾の海潮を見はるかす森町の一角に、アメリカ人技師ハワード・ゼンクス氏設計監督による本格的凍結設備を有する冷蔵庫が創業を開始した。時に大正九年八月二十五日、わが国における冷凍食品事業の嚆矢をなす壮挙である。先覚者葛原猪平翁の半世紀を貫く遺志は、今や低温流通機構の開花を迎えんとして、なお鮮烈に生きつゞけている。日本人の食生活に一大変革をもたらす冷凍事業の進展は、今後さらに期して待つべきである。われらの前途に課せられた責務もまた重大であらう。日本冷凍食品事業の草創こゝに五十年を画するにあたり、永遠に顕彰すべき先達の偉業を偲びつゝ未来への飛躍と努力を誓うものである
記念碑建立期成会
(氏名省略)
協賛
日本冷凍事業協会
日本冷凍協会
北海道冷凍事業協会
森町
森町商工会議所
■■冷凍事業■■
■■冷凍事業■■
日本冷蔵■■■■
日本冷凍食品事業発祥の地碑
A Monument to the Establishment of the First Frozen Food Enterpriseこの石碑は昭和44年に日本冷蔵(株)森工場の創業50周年を記念して建てられた物です。日本冷蔵(株)は大正9年(1919年)、森沿岸の豊富な魚に注目し、欧米技術を導入して日本で最初の冷凍工場をこの地に建設しました。
ここに置かれている機械は、日本で初めて木炭ガスエンジンにより魚を冷凍した機械です。マグロ・イカ・イワシなどはここで冷凍され、初の冷凍魚として日本各地に出荷されました。1928年の関東大震災ではたくさんの冷凍魚が食糧不足の人びとへ出荷され、世に冷凍魚の価値を認識されることになりました。
森町
第2号町指定有形文化財
「冷凍機械」大正9年(1920) 8月25日、山口県の人葛原猪平氏が森沿岸の豊富な魚に注目し、当時人家もほとんどなかった港町に我国最初となる、最新設備の冷凍食品工場が建ちました。
この工場には、冷結室が三室(日産能力10トン)、冷蔵室三室(収容能力260トン)があり、製氷量は一日約5トンでした。また、使われていた冷凍機や原動機はアメリカ製で、原動機は木炭ガスエンジンでした。冷凍魚のシステムは、アンモニアを圧縮して液化させ、減圧して気化することを繰り返して温度を下げ、零下20度前後になるまでには約20時間以上かかったと言われます。
当時の冷凍魚は、マグロ、ブリ、イカ、サバ、イワシ等で、翌10年には東京方面に出荷されました。
昭和44年9月、創業50周年を迎えて記念碑が建立されました。半世紀にわたり活躍して来た冷凍機械は現役を去った後も、その歴史的価値が認められて昭和48年9月1日、森町の指定文化財(第2号)となり大切に保存されています。平成8年7月
森町教育委員会