日本 聾話学校 発祥の地
にっぽんろうわがっこうはっしょうのち
地下鉄 神楽坂駅から南西、地下鉄 牛込神楽坂駅から北西に、700~800mほど,住宅に囲まれて“日本基督教団エバタ教会”がある。教会前の駐車場ともなる広場の片隅に,「日本聾話学校発祥の地」と書かれた 高さ1mほどの石碑が建っている。
日本聾話学校は,大正9年(1920)に この地にあった“東京牛込福音教会”に開校した,難聴の児童・生徒に対して教育を行う私立のろう学校。乳幼児から中学校まで 聴覚主導(口話法)の教育を行っている。
同校創立のきっかけは,米国長老派教会の宣教師として来日していた オーガスト・K・ライシャワー博士(元駐日大使 エドウィン・O・ライシャワー氏の父)の長女が,病気のために幼くして聴力を失ったことであった。たまたま牛込福音教会専属の女教師・クレーマ女史が,幼稚園教師の資格を有し 同時に聾唖者のための読唇術をも会得していたため,聾唖児童のための学校を教会堂に開くことになった。聾話学校は当初2名の日本人教師と10名の生徒でスタートし,大正15年(1926)に世田谷区桜上水に移転した。現在は 東京都町田市に移転している。
ちなみに,ろう教育には“口話法”と“手話法”がある。口話法は 補聴器などを使用した音声によるコミュニケーションと書記言語を主に用いる方法,手話法は 視覚言語を主に用いる方法である。長い間口話法が採用されていたが,戦後になって 手話法が積極的に取り入れられるようになった。しかし 平成12年(2000)ごろから人工内耳が普及しはじめ,聴覚口話法が見直されてきている。人工内耳とは,聴覚障害者の内耳の蝸牛に電極を接触させて聴覚を補助する器具で,手術により体内に埋め込まれる。幼児期に人工内耳を装着すると,健常者に近い音の判別能力が得られるとされる。
写真
碑文
日本聾話学校発祥の地
1920年(大正九)4月28日
Love never faileth
愛はいつまでも絶えることなし
コリント 1.13:8この,東京牛込福音教会会堂にて
A.K.ライシャワー夫妻
(ライシャワー元駐日大使のご両親)
福音教会宣教師 I.F.クレーマ女史
によって開校しました。
(開校当時生徒9名教師2名)