日本最初の 屠殺場の跡
にっぽんさいしょのとさつじょうあと
下田湾の北東。海岸から100mほど北東に入った山裾に、曹洞宗 玉泉寺(下田市柿崎31-6)がある。
山門を入ると正面に本堂、左側に墓地があるが、墓地の最前列に「日本最初の屠殺場の跡」と書かれた木碑が建っていて、横に立派な慰霊碑(牛王如来)が建っている。
下田駐在の領事に任命されたタウンゼント・ハリスは、日米の文化の違いにおおいに戸惑った。特に食生活においては、肉食をしない日本人の食生活になじめなかった。そこで役人たちとの困難な交渉の結果、特に領事館の米人に供するためだけに牛肉を提供することになった。
と言っても 屠殺場があるわけではなく、寺の境内にあった
横にある立派な慰霊碑(牛王如来)は、昭和になってから 東京の牛肉商が牛の供養のために建立したものだそうだ。
写真
碑文
日本最初の屠殺場の跡 (屠牛木)
当時,領事館員の食料のため仏手柑の幹に牛を繋ぎ屠殺せるもの,昭和六年四月八日東京牛肉商の手により牛王如来を建立し供養す。樹は枯れたためハリス記念館に保存す。
後世村人は屠牛木と云う。This monument, erected 1931 by the butchers of Tokyo, marks the spot Where the first cow in Japan was slaughtered for human consumption. (Eaten by Harris and Heusken)