帯広 発祥の地
おびひろはっしょうのち
帯広駅から北東へ2.5kmほど。帯広国道38号線沿いの東9条南5丁目交差点の三角地帯に「帯広発祥の地」の碑が立つ。帯広開拓に尽力した依田
北海道開拓を目的とした晩成社を創設した勉三らがこの付近(オベリベリ)に入植したのは明治16年(1883)。13戸27名から、帯広の歴史が始まった。明治政府主導で屯田兵が置かれた北海道の他の都市とは違い、民間の移民で開墾が始まった。「豚と同じものを食べていた」との碑の言葉のとおり開拓は困難を極め離農が相次ぎ、わずか2年で開拓農家は3戸にまで減ってしまった。勉三の開拓は必ずしも成功とは言えなかった面もあるが、農業以外にも畜産や木工など帯広発展の礎を築いた。付近には現在も「依田町」という住所が残っている。また、人気の北海道土産で帯広が地元の六花亭製菓にも鉄鍋をモチーフにした「ひとつ鍋」というロングセラーのお菓子がある。
碑から国道を超えて数百メートルの旧帯広川沿いには発祥の地にちなみ、その名も「発祥の地公園」がある。
写真
碑文
開基明治十六年
帯廣発祥の地
国務大臣北海道開発庁長官福田篤泰
開墾の
はじめは
豚と
一つ鍋開拓の祖
依田勉三作帯広市長 吉村博
昭和四十一年建之
創立三十周年記念
帯広ロータリークラブ