林間学校 発祥の地
りんかんがっこうはっしょうのち
両毛線 前橋駅から北に5km、敷島公園の中、バラ園入口近くの松林にこの発祥碑が建つ。林間学校の発祥については、碑文に書かれた内容以上の由来は不明。
前橋市の敷島公園は、群馬県における林間学校発祥の地である。大正19年(1921) 夏期休業中、前橋市専任学校医・狩野壽平が、市内小学生の虚弱児の体質向上を目的として、利根川河畔の小出河原(現・敷島公園の松林)で林間学校を開設した。以後、この実践は昭和19年(1944) まで継続され、多大な成果を挙げ、その精神は高原学校や臨海学校へ受け継がれた
敷島公園は利根川河畔の原生林を開いて造られた自然公園で、36haの面積がある。昔は小出河原と呼ばれていたが、大正14年(1925) に公募によって敷島公園と命名され、現在に至る。敷島公園全体の半分が陸上競技場・野球場・テニスコート・サッカーラグビー場などの運動施設になっているが、残りはバラ園・熱帯植物温室・水の広場など自然を活かした公園になっている。
写真
碑文
林間学校発祥の地
群馬県学校保健会会長 家崎智謹書
ここ敷島公園(小出河原)の緑濃き松林は、群馬県内で初めて林間学校の開かれた地である 大正十年(一九二一)八月の夏期休業中に、前橋市専任学校医狩野寿平(富士見村原之郷出身)は、市内の小学生の虚弱児の体質を向上させるため、林間学校を開設した
この林間学校は、昭和十九年(一九四四)までつづけられ、多大の成果をあげ、その精神は現在の高原学校や臨海学校に引き継がれている ここに群馬県学校保健会五十周年にあたり、林間学校発祥の地に記念碑を建て、全国に先がけて学校保健のため尽くされた先人の偉業を後世に伝えたい平成十二年十一月吉日
- 建碑寄贈者
- 群馬県学校保健会理事
- 勢多郡学校保健会会長
- 医学博士 五十嵐誠祐
富士見村原之郷石工 書上石材店
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