常備消防 発祥の建物

じょうびしょうぼうはっしょうのたてもの

JR両毛線の前橋駅から北に400m。“けやき並木通り”に面する日本生命ビルの北隣に、2階建ての小型の建物が建っている。正面上部に「前橋市消防団」という名前が表示されていて、壁面には「前橋市消防団第1分団2部車庫詰所の沿革」という銘板が取り付けられている。

前橋常備消防

明治に入り、江戸時代の“町火消”などの消防制度が廃止され、代わりに“消防組”が新設された。半官半民の消防夫(非常勤)が、火災時に緊急出動して消火活動を行う仕組みで、現在の“消防団”に相当する組織であった。人口密度の高い都市部では常勤の消防組も組織された。

前橋市においては、昭和初期に常勤の消防機関が組織され、その詰所兼消防車の車庫としてこの建物が建設され、現在に至るまで使用されてきた。

写真

  • 前橋常備消防
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碑文

前橋市消防団第1分団2部車庫詰所の沿革

 昭和3年当時の地図によれば、現在の前橋市消防団第1分団2部車庫詰所がある位置は、田中町(当時の町名)にあたるが、当初、駅寄り、南に約50m離れた場所に建てられていた。当時は、警察業務との関係から警察署と一緒の場所にあり、専任消防手を配置したことから、前橋市常備消防発祥の建物と推測される。

 この建物の竣工は, 『前橋市事務報告書 自昭和三年一月至昭和三年一二月』によれば昭和三年一二月二〇日とされている。さらに備考に「コンクリート施行期厳寒の為遅延し目下 工事中」とあることから、すくなくも昭和3年度末(1929年)には完成したものと思われる。前述のとおり、この建物は建設当初地から現在地に戦災復興区 画整理事業に伴い曳き家移転されたと思われ、現在地において数度の改修を経て現在に至っている。

 我が国においては、建物としての鉄筋コンクリート造は明治30年代(1897年)後半にその実例が現れるとされる。はじめは東京など大都市で用いられたようであるが、徐々に地方都市にもその使用が普及した。前橋では、群馬県庁昭和庁舎が昭和3年、群馬会館が昭和4年、(旧)麻屋デパートが昭和8年 (1933年)に建設されている。この建物は、こうした例と同様、県内に現存する鉄筋コンクリート造建物として貴重な建物であり、歴史的にみて地域文化財 として重要な価値を持つ建造物と考えられている。

地図

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前橋市表町2丁目 付近 [ストリートビュー]