茶道 発祥の地
さどうはっしょうのち
近鉄奈良線 奈良駅から 北に400m。高天交差点からやすらぎの道を北に300mほど入ると, 道路の西側の歩道上に高さ170cmほどの石標が建っている。
茶の湯は、奈良時代に中国から日本に伝えられ貴族や僧侶などの間で楽しまれたが、遣唐便の廃止によって一旦途絶えた。 後に平安末期になり 中国大陸との往来が再開されると,臨済宗の開祖となった栄西禅師が 点茶の作法を修得して帰朝,茶の薬効を説き喫茶の儀礼を定着させた。
当初、茶は薬や儀礼として始まったが,やがて茶会はおごそかな会となり, あるいは茶の品質の優劣を競う“闘茶”となって室町時代にかけて流行した。
村田珠光は戦国期の茶人で,“わび茶”の開祖といわれ,茶室を四畳半に限り,装飾を制限するとともに, 茶の湯を 書院における豪華な茶会から“限られた少人数の出席者が心を通じ合う場”に変えた。
珠光は奈良の出身で,11歳の時に称名寺に入り僧となったが, 若くして茶を好み 出家の身を嫌ったため勘当されて還俗。 京都に出て茶人となり 能阿弥や一休と親しくなり,茶の湯に禅の精神を加えた茶禅一味の新境地を開き,物はなくとも心の豊かさでおぎなおうとする独自の侘茶の精神を確立した。
この村田珠光が立てた礼式作法は,武野紹鴎や千利休を経て今日に伝わり, 現存する各流儀のいずれもが村田珠光をもってその祖としているようである。
石標が建っているところから 西に100mのところに 浄土宗の寺 称名寺がある。 村田珠光が修行をした寺で,現在も“珠光庵”(正式には“独爐庵”)と呼ばれる茶室が残っている。
なお,この石標は 「この場所で茶道が発祥した」ということではなく, 「この奥に 茶道発祥の地である称名寺がある」という,一種の案内標識と考えるのが適当と思われる。
写真
碑文
茶道発祥の地
奈良市
茶礼祖村田珠光旧跡称名寺 右
茶礼祖村田珠光旧跡称名寺 左昭和五十二年五月十日建之
「建之」以下まだ刻まれているが読み取れない