西洋瓦 発祥の地
せいようがわらはっしょうのち
横浜 元町の南側、山手町に上る斜面に「元町公園」がある。 公園の上部から エリスマン邸の西側を通って 通路を下りていくと「山手80番館」の廃墟跡があり、その向かい側の 公園外との擁壁になったコンクリートの壁面に瓦のサンプルと「ジェラール瓦」と書かれたプレートが ガラス板で保護されてはめ込まれている。また、その通路を更に下って, 元町プールの管理事務所に出ると「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」と書かれた説明板が建っている。
アルフレッド・ジェラールはフランス生まれ。元治元年(1864) に20代のときに来日し, 開港間もない横浜で商売を始めた。当初は 食料品などを 横浜港に入港する船舶に供給していたらしいが, 明治の初めごろには 山手(元町公園のある高台とその斜面)の湧き水に着目して 船舶給水業を営むようになった。この水は非常に良質で当時の船乗りの間で評判だったという。
次にジェラールは 西洋瓦と煉瓦の製造工場 "A Gerard's Steam Tile and Brick Works"を 現在の元町プール付近に設立。そこで製造される瓦と煉瓦は「ジェラール瓦」あるいは 「フランス瓦」と呼ばれ, 山手居留地の居留外国人の家や 山下町の商館などの建築に 広く用いられた。現在でも 横浜の旧外国人居留地を中心に これらの瓦が発掘されることが多い。
その後 給水業と瓦製造業の成功によって財産を築き, 明治24年(1891) 頃 50代でにフランスに帰国した。在日中に多数の仏像や陶器などを収集していて, 帰国後にランス市に寄贈され 現在はランス市美術館に保存されているという。
写真
碑文
ジェラール瓦
Gerard Tilery元町公園は、わが国西洋瓦発祥の地であり、この斜面下の平地では明治の初年からフランスンのアルフレッド・ジェラールが「ふらんす瓦」を製造していました。
確認されている最も古いジェラール瓦は、明治6年(瓦に刻まれた1873の数字は西暦、またニ型三型の数字は紀元の年号を表示しています)製で、関東大震災により崩壊焼失したこの山手80番館にも「ALFRED/GERARD」銘のあるジェラール瓦が葺かれていました。今日なお、山手では「ふらんす瓦」の異人館を多くみることができます。
アルフレッド・ジェラールは、山手の湧水を利用して船舶給水業を営む傍ら、「ふらんす瓦」はもとより赤煉瓦・有孔煉瓦、陶管、タイルの製造を手がけ、その工場は、「煉瓦屋敷」もしくは「水屋敷」として永く親しまれていました。昭和60年3月
横浜市緑政局
横浜開港資料館