士幌町 農協 農村 工業 発祥の地

しほろちょうのうそんこうぎょうはっしょうのち

 
撮影:
2023年4月(写真 まさ・なち さん)

根室本線 帯広駅から北に30km、士幌町役場からは西に4km、工場跡のようなコンクリートの遺構の奥に石碑がある。士幌町農協によって「士幌農協農村工業発祥の地」として石碑建設。後になって町は史跡に指定して駐車スペース近くにステンレス碑を設置している。

写真

  • 士幌農協農村工業発祥の地
  • 士幌農協農村工業発祥の地 背面
  • 士幌町農村工業発祥の地

碑文

士幌町史跡 (21)

士幌町農村工業発祥の地

平成元年度指定

拓魂

士幌農協農村工業発祥の地

内閣総理大臣 中曽根康弘

士幌の組合員(当時、農業会会員)が、百家奏鳴・甲論乙駁の苛烈な論議を重ね、理事会、総代会、総会で長い討議の末、中音更の杉原澱粉工場を買収し、昭和二十一年九月二日付で北海道長官の許可指令を得て、この地で初めて農業協同組合(当時、農業会)が馬鈴薯澱粉を直営工場として操業した。

太田寛一名誉組合長(当時、専務)は「農民を疲弊と貧困から救う道は、農民自からの手によって農産物の加工と流通を行い付加価値を髙めるよりほかはない」との信念と斗志をもって率先奔走、音更川のほぼ中間で交通、水利を生かし、当時としては村内一の規模を誇るこの工場に着目して買収への地歩を固めたのであった。
組合員の理解を得るため何重苦斗した経緯を知る役職員はこの工場の成否は農民の將来の夢を付託された歴史的悲願の工場として、失敗は絶対に許されないとの悲壮な覚悟の中で、職員職工一丸となり精魂を打ち込み組合員の信頼と理解をかちとるため執念をもち真剣に努力し初期経営成果を獲得したのである。
士幌農協合理化澱粉工場創設三十周年という記念すべき秋「農村工業」の源流を囬顧想起し悠久の農業に夢と希望を描きつつ、これまでの実践の中で学びとった「農民の英知と努力、共同と団結の力は、常に新しい道を拓く原動力である」ことを、この地をおとずれたし各々の心に銘記されたい。
西空にヌフカの秀峰を望む音更川の水澄む河畔に、往事雄渾の音きしませた水車跡をはじめとするコンクリート遺跡は、過去・現在・未来への動的光景を語る礎石として、温故知新の心情を携えつつ更なる昿野への旅立ちを示しているのである。
これまで士幌農業、農協の発展のいしづえとなった方々に感謝し、雄躍未来に馳せる人々に万感こめ、ここに組合員の心を集め「拓魂の碑」を建立する。

昭和五十九年十二月八日

士幌町農業協同組合
 組合長 理事 安村志朗 撰

農村工業躍進えの歩み
昭和九年
天塩の国士別の人、林氏がこの地に馬鈴薯澱粉工場を建設、操業を始める
昭和二十年
札幌市より鹿追村クテクウシに入りし杉原徳永氏、この工場を譲り受け操業を継続する
昭和二十一年
士幌村農業会がこの工場を買収操業、協の農民による農協農畜産物加工工場経営の端緒となる
昭和二十二年
音更川の洪水により工場流失の危機に瀕するや、農協職員総出でこれを守り操業を継続する
昭和三十年
士幌農協大規模連続式澱粉工場が建設され、この工場の使命を終り、工場跡地としてここに眠り、農工業の発祥の地として後世にこれを伝う
澱粉工場操業発足時の役員名

(芳名略)

澱粉工場操業時の役職員及職工

(芳名略)

百家争鳴を「百家奏鳴」と表現するところがややウケ

地図

地図

士幌町字中音更 付近