士幌 市街 発祥の地

しほろしがいちはっしょうのち

 
撮影:
2023年4月(写真 まさ・なち さん)

士幌町役場の東方、むらはし歯科(士幌町字士幌西2線167−9) 隣地に石碑がある。

士幌の開拓は明治時代後期に始まり、特に明治35年(1902) に本格的な入植が進んだ。士幌の名は、アイヌ語の「シ・ポロ・ペッ」(大きな本流の川)に由来し、十勝川水系の士幌川にちなんで命名されたとされる。

士幌市街の発祥において重要な転機となったのは、大正4年(1915) の士幌簡易郵便局の開設と、大正6年(1917年) の士幌外1線(後の国道)沿いへの商店や住宅の集積である。これにより、農業中心の集落に行政機能や流通機能が加わり、市街地としての形が整い始めた。

大正10年(1921) には士幌市街に小学校(現在の士幌小学校の前身)が開設され、子どもたちへの教育の場が提供された。さらに大正11年(1922年) には士幌村役場がこの地域に設置され、名実ともに地域の中心となった。市街地の整備は徐々に進み、道路の拡張や水道施設の整備も昭和初期には始まっている。

鉄道の開通も市街発展の大きな要因である。昭和4年(1929) には士幌線が開通し、士幌駅が設置された。これにより十勝管内との物流が飛躍的に向上し、農産物の出荷が効率化された。同時に人の往来も活発になり、商業の発展にも寄与した。駅舎は市街の西端に置かれ、そこから道路が東方に延び、市街の骨格を形づくった。

昭和30年(1955) には士幌町が町制施行され、現在の町名となる。このときも町役場は市街地の中央に置かれ、行政・教育・交通・商業の機能が集約された地域としての役割を引き継いだ。

このように、士幌市街発祥の地は、明治末期から昭和初期にかけての交通機関の整備、行政機関の設置、教育機関の開設を通じて段階的に形成されてきた。現在の市街地はその延長線上にある。

写真

  • 士幌市街地発祥の地 背面
  • 士幌市街地発祥の地
  • 士幌本通り街並図
  • 士幌市街地発祥の地

碑文

士幌市街発祥の地

士幌町長 小川寅之助 書

沿革

士幌町は明治三十一年(一八九九年)人跡未踏の原始林に開拓の鍬がおろされたのが始りとされている
当時先人は想像に絶する困難と風雪に耐え未開の地を切り開き町の礎を築き今日全国に誇る畑作酪農郷をつくり農産加工肉牛生産基地日本一の町として飛躍的な発展を遂げた
ここ本通りは大正三年(一九一四年)に始まり士幌市街地形成の原点であり大正十年分村に当り役場仮庁舎が置かれ村の中核として活況を呈してきた
道は昭和六十三年(一九八七年)道道本別新得線拡幅工事を進め国費補助事業によるふれあいの道構想を樹て平成四年(一九九二年)完成をみるに至り街路の様相は一変し近代化が進んだ
ここにふれあいの道完成を記念し町及び市街発祥の地元本通り町内会がこの碑を建立しその歴史を後世に伝えんとするものである

平成五年六月

士幌市街発祥之地記念碑建立期生役員

(芳名略)

本通り町内会

(芳名略)

地図

地図

士幌町士幌西2線 付近 [ストリートビュー]