塩竈市名発祥の地
しおがましめいはっしょうのち
宮城県塩釜市の御釜神社(塩釜市本町)の境内、通りに面したところに神社の由来を示す看板があり「塩竈市名発祥の地」「日本製塩起源の地」と併記されている。東北の一宮として知られる
発祥の由来は、神社にまつられている古来の塩釜。「
鉄釜は「神竈奉置所」とある扉の奥にあり、見学は可能だが、写真撮影はNGとのこと。そしてこの塩釜は「日本三奇」としても知られている。海水が張られている直径1mほどの釜は、夏場の日照りの日でも枯れることがなく、また大雨や台風でも水位が一定だということだ。
また、海水は環境に大異変があるときには前兆として色が変わると伝えられていて、東日本大震災の際にも、普段は濁っている水が震災当日の平成23年(2011) 3月11日の朝には透き通っていたという。また、当日は市内の低地はほぼ津波被害を受けたにもかかわらず、御釜神社は通り一本を隔てて間一髪で難を逃れた。江戸時代には釜の水の色が変化したら必ず藩に報告していたと伝わる。
ちなみに「日本三奇」のあと二つは兵庫生石神社の「石の宝殿」、宮崎霧島東神社の「天逆鉾」とのこと。
写真
碑文
由緒
鹽竈市名発祥の地
日本製塩起源の地恭しく顧みるに、神代のの昔武甕槌、経津主の二神盬土老翁神はこの地に留まり給ふて人々に海草を焼き製塩の法を教へ給ふたので其の神恩に感謝して三神を斎き奉り盬竈神社を創祀するに至ったと云ふ。當御釜神社は盬竈神社の末社に坐し、盬土老翁神製塩の旧址で境内の牛石、藤鞭社等これも有縁のものと伝へられ例年7月4日藻刈、5日水替、6日藻塩焼、7日藤鞭社と古式床しい特殊神事を経て製せられた神塩を持って十日本社例祭りの神饌を調達する慣例である。蓋し塩竈の地名は盬土老翁神製塩の伝説に由来し、元禄2(1689年5月8日芭蕉は御釜神社に詣、「末の尅、塩竃ニ着、(中略)出初ニ塩竃ノかまヲ見ル云々」とあり、神竈を拝し古来製塩の由来に思いを馳せ、盬土老翁神の偉大さに賛仰のことばを惜しまなかったのである。(曾良旅日記より)更に此処は市名発祥の聖地で実に本邦製塩の濫をなす記念すべき所である。