塩田鯉
しおだごいこのいけにはっしょう
北陸新幹線・しなの鉄道 上田駅の南西 約8km。上田交通別所線 塩田町駅から 南に800mの地点に, 「泥宮」という小さな祠があり, その横に「塩田鯉」の碑が建っている。
塩田鯉とは鑑賞用ではなく食用魚。山国 信州では 貴重な蛋白源として 鯉が多く養殖され、 特に「佐久鯉」と「塩田鯉」が有名である。
泥宮の前には“上窪池”という溜め池がある。昭和30年代初めに この池で養鯉事業が始まり, 昭和50年ごろには近隣の多くのため池から年産1000tもの出荷量を誇った。2年間 溜め池で養殖された後 千曲川の流水に移されると、泥臭さが抜かれ格別の美味とされる。
稲作農家の現金収入向上を目的に、行政が旗を振って始めた事業で、ダメなら自分達で食べて終了すればいいといった、あまり前向きとはいえない雰囲気を感じさせつつも、高度成長期の時流に乗り、道路交通網の発展と共に販路が拡大、生産量を伸ばした。皇太子殿下(当寺)も視察に訪れ、全国的に名が売れたのかもしれない。しかし1974年(昭和49年)をピークに、飼料高騰(オイルショックは1973年)や価格下落により衰退。またさらに生活習慣や水質が変化し、1996年(平成8年)に養鯉事業の幕を下ろした。
今や飽食の時代とも言われ、東信地方では今でも祝宴等では鯉の甘煮が供されるが、地元のみなさんは「また鯉か」とため息をつくのを目にすることも少なくなく、かといって他地域においてそう頻繁に鯉を調理することも見かけない。
この碑は 塩田鯉の養殖10周年を記念し、発祥が昭和32年であることを記す発祥碑である。
なお、
写真
碑文
塩田鯉
昭和三十二年この池に発祥
半田孝海書
やまの影
志づ免る池に
背をなべて尾びれの振りも
ゆたかなる鯉峯村國一
昭和四十三年四月建之 盬田町
田園空間博物館
上窪池
【かみくぼいけ】
由来
上窪池は、昔の文面には正保2年(1945)築造とあります。
江戸時代に池を改修する以前は「泥池 」と呼んでいました。池のほぼ西北に「泥宮 」が祀 られています。もとは「泥宮」「泥池」は、一対のものと考えられます。
「泥宮」の御神体 は「泥」です。「泥」は、土に水を入れてかき混ぜた状態です。これこそ稲を育てるには最良の条件です。この状態を作り出すために、田植えの前には、必ず代 掻 きをします。そこへ稲の苗を植えると、すぐに活着 し、成長が始まります。
このようなことから古来「泥」は神聖なものとして大事にされてきました。延喜式内社 ・生島足島 神社の御神体は「大地」です。生島足島神社と泥宮の御神体は同じということになります。
一時期、塩田平の各ため池で鯉がたくさん飼われ有名でした。その「塩田鯉」は昭和32年(1957)、この上窪池に発祥しました。農水省「全国ため池百選」に選定された 塩田平のため池群
平成23年度上田市わがまち魅力アップ応援事業