集団 養鶏 発祥之地

しゅうだんようけいはっしょうのち

小田急江ノ島線 南林間駅から西に2km。座間市立ひばりが丘小学校の北東,道路をはさんで向い側。歩道橋の下付近にある駐車場の隅に 高さ2mぐらいの大きな石碑とその脇に黒御影石の副碑が建っている。

太平洋戦争後,食習慣の変化により 卵と鶏肉の需要が急速に高まり,新しい養鶏技術が導入された。この大規模養鶏を実現するために,横浜方面の養鶏業者が 当時農家もまばらだったこの地に集団で移転して,近代的な養鶏業が行われた。

当地区での養鶏の生産量は 全国有数の規模になったが,やがて宅地開発が進み人家が急増したため, 環境問題に対応するため,養鶏場は昭和45年(1970) に閉鎖され,各地に移転していった。

写真

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  • 集団養鶏発祥之地 碑文 背面

碑文

集団養鶏発祥之地

参議院議長 河野謙三

集団養鶏発祥記念碑

 昭和三十二年三月二十五日 ここに神奈川中央養鶏農業協同組合が創立されました この組合は長年横浜市内で養鶏を営んでいた人たちが 初代組合長彦坂茂一氏を中心に結成したもので 都市の環境を考慮してこの地に集団で移転したものです  この集団養鶏は徹底した共同利用と最新の養鶏技術により わが国で最初の十万羽養鶏を実現し 養鶏の新しい発展の方向を示すとともに企業農業のモデルとして 全国に大きな影響を与えました
 しかし都市化の波はここにも及び 昭和四十五年十二月 この事業場は閉鎖され各組合員は県内外に移転しましたが この組合の発足以来の活 躍は本県畜産業の範とするものでありますので ここにしるして後世に のこします

昭和四十六年十月

神奈川県知事 津田文吾

和 即力      茂一

ありし日の集ひの業をしのびて
 石にとゞめて 永久につたへん

彦坂茂一   鈴木 満   鈴木新一
彦坂恒夫  故鈴木周一   彦坂 修
伊藤祐三   彦坂治美   遠藤 孝
三浦貞雄   彦坂叡夫   鈴木郁夫
柳沼 孝   鈴木義之   彦坂俊夫
秋山裕次   柑馬邦男   鈴木省吾
鈴木紀志   鈴木次男   北山清造
鈴木 達   畑福繁幸   谷 邦昭
彦坂彦次郎 故彦坂初治   佐藤勝行
岩松五郎   坂根喜三   川村三男
笹本 尚   松本英逸   大場宣夫
鈴木政吉   東 克己

昭和四拾六年拾月之建立

地図

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座間市ひばりが丘2丁目 付近 [ストリートビュー]