水田 発祥の地 (士別)(撤去)

すいでんはっしょうのち

現存せず
撮影:
2025年1月(写真 まさ・なち さん)

宗谷本線 士別駅から北に約1.5km、国道40号沿いの士別市大通北1丁目 長生館市村治療院隣に棒杭のような標識が建っていた。
ところが令和6年(2024) のストリートビューでは見られず、訪問すると土台のようなものだけ残された状態だった。
建物が取り壊されたということではなさそうで、お庭の整理がついたら復活するのだろうかと期待するところである。

明治33年(1900)、屯田兵として当地に入植していた山畑辨次郎による水稲の試作成功に始まる。当時、北海道北部では冷害や積雪の影響から稲作は不可能とされていたが、山畑は水路を自ら設け、日照や地温に配慮した水管理を行うなど、寒冷地向けの工夫を凝らして試作に挑んだ。その結果、収穫を得ることに成功し、これが道北地域における稲作の可能性を証明する大きな一歩となった。

この成功を契機に、士別周辺では水田への関心が高まり、実用的な導入が模索されるようになった。そこで重要な役割を果たしたのが、和寒村出身の角田繁蔵である。角田は、冷害に強い品種の選定や、苗代管理、水路整備などの技術に精通しており、士別の農民たちに対して具体的な方法を指導した。山畑の成果を点から面へと広げ、稲作を定着させる過程において、角田の存在は不可欠であった。彼の尽力により、士別の水田は徐々に拡大し、やがて上川地方有数の稲作地帯へと発展していく基盤が築かれたのである。

北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられるが、《北海道「水田発祥の地」記念碑》という書籍が発行されるほどである。

写真

  • 水田発祥の地 (士別)
  • 水田発祥の地 (士別)

碑文

水田発祥の地

明治三十三年 屯田兵 山畑辨次郎試作の地

地図

地図

士別市大通北1丁目 付近 [ストリートビュー]