高槻の水道 発祥の地
たかつきのすいどうはっしょうのち
阪急京都線 高槻市駅から南東すぐに小さな空地があり、石碑と説明が設置されている。
高槻における水道は、昭和4年(1929) に新京阪電気鉄道株式会社が住宅地開発にあわせて整備した専用水道が始まりである。当時、高槻は鉄道開通と都市化の進展により人口が増加し、従来の井戸水だけでは生活用水を十分に確保できなかった。そこで鉄道会社が自ら水道施設を建設し、取水・浄水の設備を整え、住宅地に配水を行ったのである。
これにより高槻の市街地に初めて近代水道が導入され、地域の生活水準は大きく向上した。この事業は、都市計画と一体となった水道供給の先駆的な取り組みであり、高槻の近代的都市形成に大きな役割を果たした。
昨日の高槻散策で見つけたやつ~3
— ©︎RS (@C_RomanceSeat) February 24, 2024
「高槻の水道発祥の地」
高槻の水道は新京阪鉄道(今の阪急京都線)が建設したのが最初だったのだそう。
しかもこの場所は通学でいつも通ってたけれど当時記念碑が無かったから知らなかった。 pic.twitter.com/KjWEeYJt9v
写真
碑文
高槻の
水道発祥の地
高槻市における水道は「新京阪鉄道株式会社」(現在の阪急電鉄株式会社)が、自社経営の住宅地に水道水を供給するため、昭和四年十二月に井戸を水源とする水道施設を建設されたのが起こりです。
昭和十八年、市制施行時にこの水道施設を無償で譲り受け、同年五月、国の事業認可により高槻市水道事業として発足しました。
この地は当時の井戸用地のひとつであり、通水六十周年を迎えたことを記念し、「高槻の水道発祥の地」としてこのモニュメントを建立しました。
三本の石柱は、それぞれ水道法に定められた水道事業の三大使命である「清浄」「豊富」「低廉」を表現したものです。
この写真は、三の丸跡(城跡公園内)で平成七年に発掘された江戸時代後期の上水施設です。水をみちびく導水管には、真竹(直径約八センチ)が使用されていました。平成十五年十二月
高槻市
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