田浦 梅林 発祥之地

たうらばいりんはっしょうのち

横須賀線 田浦駅から南西に800m。京浜急行と横浜横須賀道路に挟まれた広大な丘陵地帯が「田浦梅林」。その北端から少し山を下りかけた途中に「大六天神社」という 小さな祠があり、由来を刻んだ発祥碑が建っている。

ここは横須賀市が管理する梅林で, 「田浦緑地」「田浦梅の里」などとも呼ばれる。田浦梅林は昭和9年(1934) 皇太子昭仁親王(当時、後の平成天皇)の誕生を祝って 700本の梅の木を植樹したのに始まる。 その後も 個人所有の梅林として 近隣の人びとに親しまれていたが, 昭和51年(1976) に土地が横須賀市に寄付されて横須賀市の管理となり, 現在は 約2,700本の梅の木を楽しむことができる。

また 地形を生かして アスレチック広場・キャンプ場・ 芝生広場なども備えた 自然を楽しむ公園になっている。

写真

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碑文

田浦梅林発祥之地

昭和九年皇太子明仁親王殿下御生誕記念として石川金蔵岡崎新太郎荒井𠮷蔵猪股茂雄渋谷三𠮷福本治三郎亀井正志大野恵𠮷の八名の発起人と町内有志を併せた三十六名により植樹し現在に至るもこの度横須賀市の要請によりて委譲す

昭和五十九年十一月三十日 田浦梅林組合長石川劭 組合員岡崎博亀井敏世石川乙松石川富男石川政男岩田滝雄下島隆之池野谷兼𠮷岡崎上雄矢沢熊男石川多美子山口髙司古川伊三郎鈴木康平

旧 田浦梅林について

旧田浦梅林は昭和九年皇太子昭仁親王殿下の御生誕を長く寿ぎ奉る為大六天宮の鎮座まします六十アール(六反歩)の山林に田浦梅林組合員三十六名が一致協力して梅の幼樹, 中樹併せて七百本を記念植樹したものです。
現在は, 田浦梅の里として横須賀市が管理しています。

横須賀市

土の呼吸を
肌で感じるこの広場に
私は翳りなき魂の故里をみる

石川 宏

この碑の建つ「田浦緑地」は, 表に刻んだ詩の作者石川宏さんが, 昭和五十一年横須賀市へ寄附された山林約三十六万平方 メートルを中心に造られたものである。
石川宏さんは, 先祖代々この地元田浦町の住人で大学教授, 詩人でもある。寄贈の趣旨は, 本市がすすめている「グリーン よこすか」運動に役立ててほしいということと, 前年亡くなら れた母親美枝さんの遺志によるものであった。
市は市制施行七十周年記念事業の一つとして造成に取りかかった。何れの日か寄付者の意図にそうた壮大で夢多き緑の里が, この田浦の地に出現することを心から期待して, ゆえんをここに誌す。

昭和六十一年三月𠮷日

横須賀市長 横山和夫

地図

地図

横須賀市田浦泉町 付近