手蓑・知覧茶 発祥の地

てみのちらんちゃはっしょうのち

鹿児島から指宿に向かう“指宿いぶすきスカイライン”で知覧ちらんインターを下りると、すぐ前に“町制施行70周年記念”という大きなモニュメントが目に入る。ここに「手蓑・知覧茶発祥の地」という石碑が建っている。

手蓑てみの」とはこの辺りの地名でここは「手蓑峠」といい、碑には地名発祥の由来も書かれている。

江戸時代、島津藩は100余りの外城を設けて藩を統治した。知覧もこの外城の一つで“麓”地区に御仮屋おかりや(武士の居住区)が置かれ、その周囲に町屋があるという、整然とした城下町が造られた。

その跡が今も残っており「伝統的建造物群保存地区」として整備されている。武家屋敷群と「知覧麓庭園」は美しく整然とした町並みをつくり「薩摩の小京都」とも呼ばれる。また知覧町は、第二次大戦中に特攻基地が置かれた場所でもあり、その基地跡に「特攻平和会館」が建てられている。

平成19年(2007) 12月1日に川辺かわなべ川辺かわなべ町、揖宿いぶすき頴娃えい町と合併し南九州市となった。

写真

  • 町制施行70周年記念
  • 手簑の由来 知覧茶発祥の地
  • 知覧茶発祥の地

碑文

手蓑・知覧茶発祥の地

江戸時代知覧の領主から急ぎの手紙を託された家臣が、ちょうどこの峠で雨に降られ立ち往生してしまいました。困った家臣は、生えていた茅を編んで蓑を作り無事手紙を届けることができました。この話を聞いた領主がこの地に手蓑の名を与えたという伝説があります。ほかにもテンノと発音することから「山頂を表す天」から天野で、それを表記するとき手蓑となったのではないか、という説もあります。

また、江戸時代の手蓑は知覧島津氏の軍役地で杉の美林がありました。明治の廃藩置県で杉山は民間へ払い下げられ、お茶が植えられました。良いお茶がとれることがわかると、町外から技術者を招き本格的なお茶の生産が始まりました。それまで知覧では、お茶を屋敷の周りや畑の隅に植えて自家用としていました。知覧が今日のような一大茶産地となるきっかけとなった山恵園という共同茶園のあった場所です。

地図

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川辺郡知覧町郡 付近 [ストリートビュー]