栃木県 苺 発祥の地

とちぎけんいちごはっしょうのち

東武伊勢崎線 東武和泉駅より南東へ350m。 国道40号線から足利工大付属高校の西で南に曲がって300mほど進むと,小川を渡ってすぐ右に“旧御厨苺組合の集荷場”があり,これに隣接する民家の敷地内に「栃木県苺発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。

あまり知られていないかもしれないが,栃木県はイチゴの出荷量が日本一である。その栃木県イチゴの発祥は足利だといわれている。足利市御厨地区の仁井田一郎(故人,当時町会議員)は町の農業振興に新しい作物の導入が必要と考え,町議会に提案。農業視察団の一員として静岡県に視察研修に行った際,イチゴの苗を持ち帰り栽培したのが始まりという。

その後仁井田は議員を辞任し,御厨町農協参事となって本格的にイチゴの産地化を目指した。昭和33年(1958) には同志とともに日光戦場ヶ原で高冷地育苗を試行し,本来は5月~6月が収穫期のイチゴを11月~12月に収穫することに成功した。

かつてイチゴは小粒で酸っぱい果物だったが,品種改良の結果,昭和50年代から 西は「とよのか」東は「女峰」の 大粒で甘みの強い品種の時代が続いた。その後も各地域での品種改良が行われ,女峰に代わって「とちおとめ」が,とよのかの後継品種として「さちのか」「さがほのか」などが開発されて市場を分け合っている。

平成20年(2008) の統計を見ると,県別のシェアは栃木県が20%で。2位の福岡県の2培近くある。また品種別では 栃木県の「とちおとめ」が全体の1/3のシェアで,2位の「さがほのか」を大きく引き離している。


令和6年(2024) に通りかかった時にお家の方がおられたので、庭に立ち入り背面を拝見し撮ることの許可を得た。

写真

  • 栃木県苺発祥の地(2024)
  • 栃木県苺発祥の地 碑文(2024)
  • 栃木県苺発祥の地(2024)
  • 栃木県苺発祥の地(2024)
  • 栃木県苺発祥之地

碑文

栃木県苺発祥の地

御厨苺組合
栃木県知事 渡辺文雄書

昭和二十五年二月 御厨町町議会振興対策協議会により静岡県志田郡志田農協の苺を視察 苺苗の導入を行いその後辛苦の末 昭和二十七年栽培に成功し市場への出荷を開始した
二十八年より当地の仁井田一郎氏が栃木県内各地において栽培技術の普及指導を行い苺栽培が盛大に行われるようになり日光苺(栃木苺)の基となった
三十三年各地に結成された苺生産出荷組合により栃木県苺生産出荷連絡協議会が設立され銘柄も日光苺と命名された
三十四年より苺栽培が急激に普及増反され年々伸長発展を遂げ京浜市場への出荷量販売額ともに日本一の産地となった
三十六年旧御厨・梁田・筑波・久野・山辺・矢場川・他地区において六百余名の生産者を有し東京七分場七市場を指定し毎日大型トラック七台の苺を販売した
四十年二月より北海道への空輸を開始新潟県内各市場と共に雪国への春の使者として真紅の苺を毎回送り続けた
隆盛をつづけた御厨苺組合も五十五年頃より連作による土壌障害農業後継者不足とともに押し寄せる都市化現象等のため生産量が減少しやむなく六十一年十二月十五日解散した
三十五年余にわたり農家経済高揚のため団結し苺一筋に徹した 組合員の心をここに刻み記念とする

昭和六十二年十月𠮷日

御厨苺組合 組合員一同

足利市前教育長佐藤里弘書

地図

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足利市福居町 付近 [ストリートビュー]