橘林檎園の誕生

たちばなりんごえんのたんじょう

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撮影:
どなたか見てきてください!

函館本線 苗穂駅から北に1km、集合住宅(?)とボーイスカウトの建屋の間に、大きな石版があるのが見える。北海道林檎発祥の地と呼ばれているかもしれない「林檎の碑」の碑陰には、橘仁がここにりんご園を始めた経緯等が記されている。

写真


碑文

林檎の碑

札幌村元村の林檎は橘仁が此地に定住し苗木を植付せる時より始まる
仁は東京に於て津田仙氏の学農社に学び明治十七年春 苗木妻戸籍を携へ此地に住付き栽培す 適地で順調に生育せる樹は明治二十三年より結実初めて販売す 橘林檎園の誕生なり 隣地の農家にて之を倣ひたる約十名も全て林檎園とし以後十余年は年々収穫を増し当時仁は札幌の林檎栽培の第一人者として知られ北海道果樹協会会長北海道大学南鷹次郎博士の役員を務め全国博覧会に優等賞を受けその果実は宮内省に献上の光栄を担うに至る其後病害に会い他の農園は全て玉葱に転向せしも仁は再度作付し二十余年の後昭和五年六月十四日仁没と共に林檎園は消滅す 仁が此地に基を定めて百年以上経ち其の孫三十余名は国内はもとより米国伯国に在る今祖父を偲びて此の碑を建立す 尚橘家と共に林檎栽培せる松澤巌氏此の企てに加わり大なる力となり共に喜ぶ事が出来たのは幸ひである

昭和六十一年(一九八六年)九月橘忍誌

此の林檎園に関わりのある詩を一首加ふ

石狩の都の外の君が家
林檎の花の

散りてやあらむ「一握の砂」

地図

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東区北11条東12丁目 付近 [ストリートビュー]