白石村 水田 発祥の地

すいでんはっしょうのち

札幌市営地下鉄東西線 白石しろいし駅から 北西に1km。白生公園(白石区中央3条5丁目3)の北西隅に 白石区役所が建てた“白石歴しるべ”の「白石村水田発祥の地」と, その近くに「開田碑」と刻まれた石碑が建っている。

明治4年(1871) 戊辰戦争に敗れた仙台藩白石領(現・宮城県白石市)からこの付近に入植し, 白石村が誕生した。当時 北海道では米が栽培できないとされ 農家は畑作を行っていたが, 米食への思いを断ち切れず 何回も稲の栽培を試み, 明治16年(1883) になって 初めて収穫を得ることができた。

北海道各地でも 米作が行われ「水田発祥の地」も各地に見られるが, 白石地区の水田経営の特徴は, 20数戸が共有の田を持って 共同経営したことにある。 旧仙台藩士としての堅い団結心と信頼感が 成功の重要な要素だった。

北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられるが、《北海道「水田発祥の地」記念碑》という書籍が発行されるほどである。

写真

  •  白石村水田発祥の地
  • 開田碑

碑文

白石・歴しるべ

白石村水田発祥の地

 明治の始め, 北海道は稲が育たない地として, もっぱら麦と畑作が農業の中心 でありました。
 明治に入植した旧白石藩の人たちは, 明治7年に故郷から種籾を取り寄せ, 稲の作付けを試みましたが, 厳しい気象条件に打ち勝つことができず, 一粒の米 も収穫できない年が続いたのです。
 しかし, こめに対する強い思いと, 旧白石藩士としての団結心で, この白生公 園一体の荒地を共同で開墾, 明治16年, 初めて籾79俵(約5.5キロリットル)の 収穫をあげたのでした。白石米第一号の誕生です。
 その後も, 日照りや冷害, 病害虫に強い稲の品種改良を重ね, その努力が実っ て, 毎年, 少しづつ収穫をあげていくことができました。
 白石村の稲作成功は, やがて, 札幌近郊に稲作を広めることとなり, 水田経営 の模範として讃えられたのでした。

1894.3 白石区役所

地図

地図

白石区中央三条5丁目 付近 [ストリートビュー]