椴法華村 発祥之地
とどほっけむらはっしょうのち
函館駅から 東に45km。亀田半島の先端に
椴法華は,
“椴法華”という地名の語源については,“アイヌ語説”と“唐渡法華説”の2説があるという。
前者は “岬の蔭”を意味するアイヌ語“トドホッケ”から来たとする説。後者は〔日蓮宗の
鎌倉時代,日蓮宗の開祖日蓮大聖人のお弟子で六老僧の一人,日持聖人(1250年~?)という偉いお坊さんが おりました。伝説では,日持聖人は今から約七百年前,海外布教を志し奥州から北海道に渡り,海岸づたいに 椴法華に入り・・・しばらく滞在した後,この地(水無海岸)より永仁七年(1299年)唐(中国)に渡った ことから(この地が)「唐渡法華(とどほっけ)」といわれるようになったと言い伝えがあります。
漁港の近くには 温泉ファンの間では知られた大変ユニークな温泉“水無海浜温泉”がある。湯船は海岸にコンクリートで仕切られただけの無料の露天風呂で,源泉は湯船の下, 海が満潮になると完全に海中に沈む。お湯の温度はかなり熱いので,海水と温泉が混じり合ってちょうどよい湯加減になった頃が入り頃。満潮時には湯船が完全に水没してしまうため,干潮前後の数時間しか入浴できない。 入浴時間表は 函館市のホームページで公開されている。
写真
碑文
椴法華村発祥之地
椴法華村長 鎌田作郎書
本村の歴史は今から約三五〇年前,先人がこの地に漁場を開いたことから始まる。その後松前藩の知行漁場として栄えると共に,恵山の硫黄,明礬の採掘も行われ,この地(元村)より島泊,矢尻浜 に集落がつくられていった。以来 幾多の父祖先人が粒々辛苦を重ね ,明治九年旧尾札部村より独立して本年輝かしい百年を迎えたのである。こゝに村発展の礎石を築きあげた先人に深い敬慕と感謝を捧げると共により豊かな郷土の発展を目指しこの碑を建立するもので ある。昭和五十一年九月十四日
当石碑は道々元村恵山線改良のため、支障となりこの地へ移設した。平成十九年十一月