東北地方 気象官署 発祥之地

とうほくちほうきしょうかんしょはっしょうのち

 
撮影:
2014年7月(写真 T.H.さん)
2023年8月(写真 まさ・なち さん)

仙石線 陸前小野駅から 南に2.5km。鳴瀬川なるせがわの左岸,河口付近に荒涼とした草原に見える一帯がある。ここは“野蒜築港跡”で,その中央部にかつて建物の壁の一部(あるいは柱?)と思われる,赤いレンガ積の構造物と並んで「野蒜測候所跡」と刻まれた碑が建っている。この碑には小さな文字で「東北地方気象官署発祥之地」と刻まれている。

“気象官署”とはあまり聞き慣れない役人言葉だが,要するに気象観測や天気予報をする役所のことで,気象庁を頂点に気象台・測候所などを指す。現在仙台地方では仙台管区気象台と5ヵ所の地方気象台及び11ヵ所の無人の観測所がある。

この地にはかつて“野蒜のびる測候所”があった。野蒜築港に伴いこの地に置かれたものだが,築港の廃止により 測候所は明治20年(1887) に石巻に移転して“石巻測候所”と改称。後に仙台(管区)気象台設立の基盤となった。

明治初年,畜産興業のためのインフラ整備として 全国各地に公共工事が行われた。その一環として水運による物流体制の整備が計画され,北上川・鳴瀬川・塩竃港を連絡する運河と港湾の建設が行われた。明治政府のお雇い外国人技師オランダ人ファン・ドールンの設計により,鳴瀬川河口に野蒜築港のびるちくこうの建設工事が着工され,明治14年(1881) に第1期工事が完成し運用が開始された。しかし大型船が接岸できる外港の建設は第2期工事にまわされた。

ところが,完成の3年後の明治17年(1884) 9月に台風が襲来し,野蒜港の突堤は崩壊し壊滅的な被害を受けた。その復旧工事に着手できないまま野蒜築港計画は頓挫し,廃墟として放置されてしまった。

野蒜築港跡は 平成23年(2011) 3月11日の東北大震災により,高さ10mを超える巨大津波に襲われ,この「気象官署発祥之地」碑も流失してしまったが,元の位置に復旧された。震災前には,現地に次のような説明板が設置されていたという。

写真

  • 東北地方気象官署発祥之地 (2023)
  • 東北地方気象官署発祥之地 (2023)
  • 東北地方気象官署発祥之地
  • 東北地方気象官署発祥之地 背面

碑文

東北地方気象官署発祥之地

野蒜測候所跡

昭和二十年六月一日
 仙台地方気象台長 森田稔 建之
昭和四十九年三月一日
 仙台管区気象台長 佐々木芳治 修復

野蒜測候所跡

野蒜築港の建設と開港に際して,日毎に変る気象観測の重要性に鑑み,政府は明治14年、この地に野蒜測候所を設けた。野蒜の築港は不運にも挫折したが気象観測は連綿として現在の石巻測候所に引き継がれている。昭和20年,その跡地に「東北地方気象官署発祥地の碑」が建立され,昭和49年この碑を修復して今日に至っている。

環境庁・宮城県

地図

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