東京中学院 発祥の地
とうきょうちゅうがくいんはっしょうのち
地下鉄 日比谷線 築地駅から 東に400m。中央区立明石小学校と その北側にある高層マンション“ラ・ヴェール明石”の間に小公園がある。 公園前の歩道上に1.2mほどの高さの茶色の石碑が建っている。
「東京中学院」は アメリカ北部バプテスト(キリスト教プロテスタントの一教派)が設立した男子校で, 後の「関東学院」の源流の一つとなった学校。明治28年(1895) ここ築地居留地に開校した。明治32年(1899)「東京学院」と校名を変更し,新宿区市谷左内町に移転。明治37年(1904) に高等科を設置し,さらに大正8年(1919) に日本バプテスト神学校と合併して「神学部」ができた。
大正12年(1923) の関東大震災により大きな被害を受けたため,昭和2年(1927) に横浜の「中学関東学院」と合併し 「財団法人関東学院」が組織された。戦後の学制改革により「関東学院中学校・高等学校」および「関東学院大学」となって現在に至っている。
写真
碑文
関東学院の源流
東京中学院発祥の地
一八九五年九月十日,ここ築地居留地四二、四三番地で
米国バプテスト伝道協会が東京中学院を設立した。
関東学院教育の源流はここに発する二〇〇九年 創立一二五周年記念
学校法人 関東学院校訓「人になれ 奉仕せよ」
二〇〇九年十月 建立