富山県 教育 発祥の地
とやまけんきょういくはっしょうのち
富山駅の南東1kmあまり、または富山軌道線 桜橋から東に500mあまり、大阪屋ショップ北新町店の西を流れるいたち川沿いの植え込みに、背の低い碑が設置されている。
富山県は廃藩置県後、富山県→新川県→石川県→富山県 と変遷したり、学制や社会情勢の変化もあり、何度も改称されたが、大局的な流れで言うと、新川県講習所が開設され、富山県女子師範学校となり、富山師範学校を経て富山大学の一部となった。その最初に設置された新川県講習所が、当地附近の民家を間借りして始まったということによる。
写真
碑文
富山県教育
発祥の地明治六年十月三日 この地北新町の民家を借りて新川県講習所・小学校教員養成所 が開校された その後校舎の移転や名称の変更を経て 富山県師範学校となった これが本県で最も古い歴史と伝統を持つ母校の誕生であり 本県教育の起源というべきである
これより十年後の明治十六年五月九日に 富山県が石川県から分離独立し 以来本年は置県百十年と母校創立百二十年の歳月を数える これを機に 本県教育の発展を祈念して この碑を建立する平成五年十月三日
富山県教育学窓会会長 清水美晴
舟城書
公園占用許可済
- 許可年月日番号
- 15年3月24日 第203号
- 許可を受けた者の住所・氏名
- 富山市千歳町1-5-1
富山教員学窓会 会長 田林親康- 占用の目的
- 「富山県教育発祥の地」記念碑
- 占用の期間
- 15年4月1日から25年3月31日まで