燕航空部隊 発祥地
つばめこうくうぶたいはっしょうち
いわて銀河鉄道 青山駅の北 1.5km。 城北小学校の向い側に「観武ヶ原農協会館(タストヴァン)」がある。この南隣りに いくつかの石碑が並んでいる。 この付近一帯 約350haは, 明治末から大正にかけて「陸軍騎兵第三旅団」「工兵第八大隊」 「陸軍予備士官学校」「
昭和30年代に入り, 盛岡市郊外の住宅地として開発されはじめ, 昭和45年の岩手国体に際し 道路が整備され, 競技場が作られるなどにより 都市化が促進され, 現在は 住宅地に変貌している。
平成20年(2008) いっぱいで観武ヶ原開拓農協は解散した。会館跡地は市に寄附され、老人福祉センターとなっている。石碑エリアは手を付けられることなくそのまま存続している。
平成29年(2017) にはタストヴァンの建物が解体され、みたけ福祉センターの平屋が新築されたと同時に、碑群の後ろにあった小屋も撤去されて見通しが良くなったようだ。
写真
碑文
燕航空部隊発祥地
戦友会代表 岩手県知事 工藤毅
建立 五十嵐孝吉
石工 東野光則
記
今次大戦に南冥に, 大陸に散華した戦友を悼む。
願主 水戸陸軍航空通信学校戦技第五期生
平成七年二月