上杉 姓氏 発祥之地

うえすぎせいしはっしょうのち

舞鶴線の梅迫うめざこ駅から北北東に1.5km。国道27号線 上杉交差点から県道481号を東に入り,県道481号と県道74号にはさまれた一画に,1.5mほどの高さの石碑があり「上杉姓氏発祥之地」と書かれている。

上杉氏といえば,越後の戦国大名・上杉謙信が思い浮かび,そのルーツも越後のように思いがちだが,実は舞鶴市にも近い 京都の北部のこの地 丹波国たんばのくに何鹿いかるが上杉荘うえすぎのしょうが発祥の地である。

上杉氏の始祖は 鎌倉時代の中頃まで京都の中級公家の家柄であった。鎌倉幕府は源氏の直系が3代で滅び,その後は朝廷から皇族を将軍として呼び寄せていた。勧修寺かんじゅうじ重房は 鎌倉6代将軍となる宗尊親王に付き添って鎌倉に下向し,その功で丹波上杉荘を賜り,上杉氏を名乗った。

ちなみに,重房は室町初代将軍・足利尊氏の母(上杉清子)の父親であり,尊氏はこの地で生まれたとも伝えられる。

上杉氏は武士となり,室町時代には関東管領として強大な権力を有することとなり,関東から越後国にかけての広い地域に勢力を誇った。しかし、戦国時代末期になると,山内・犬懸・扇谷・詫間の四家に分かれて内部対立を繰り返したため 次第に衰退し,新興の北条氏におされてその地位を失った。

最後の管領であった上杉憲政は越後に逃れ,有力武将となっていた長尾景虎に「上杉」の姓と関東管領の職を譲り渡した。景虎は長尾姓を捨てて上杉姓に改め,上杉謙信を名乗った。豊臣秀吉の時代の末期に,上杉氏は越後から会津に移封され,江戸時代には徐々に減封されながらも米沢藩主として 明治を迎えた。

現在 全国に散らばる上杉家の末裔は“上杉家ゆかりの会”を結成し,平成19年(2007)にこの「上杉姓氏発祥の地記念碑」を建立した。

写真

  • 上杉姓氏発祥之地
  • 上杉姓氏発祥之地 碑陰

碑文

杉氏ゆかりの会有志来訪記念

上杉姓氏発祥之地

綾部市長 四方八州男謹書

上杉姓ノ由来

初祖藤原重房公宮
家将軍宗尊親王ノ
東下ニ随行丹波国
上杉荘ヲ給付サル
依テ上杉ヲ姓トス
其ノ子孫室町幕府
足利将軍家ニ忠勤
抜群世ニ上杉ハ天
下ノ大姓ト称サル
  (姓氏関係事典より)

本碑奉献協力者

京都府綾部市長 四方八州男
建碑土地提供  上杉健介
(以下38名の氏名・・・略)

━━本会の活動経過
平成十七年 出羽米沢旧跡訪問
平成十八年 東国伊豆旧跡訪問
平成十九年 当地に本碑を奉献
 上杉家ゆかりの会有志代表
  さいたま市上木崎
       大澤成四郎 誌

  平成十九年三月十八日
  河内屋石材株式会社謹製

地図

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綾部市上杉町 付近 [ストリートビュー]