山梨県議会 発祥の地
やまなしけんぎかいはっしょうのち
中央本線 甲府駅から南に1.2km、遊亀公園の北側に隣接して時宗 稲久山一蓮寺(甲府市太田町5-16)がある。 寺の本堂前に「山梨県議会発祥の地」と刻まれた大きな石碑が建っている。
明治維新以後, 廃藩置県により 地方行政の単位は「府・県」になった。 府県に置かれた「議会」は明治11年(1878) に公布された「府県会規則」によって定められた。しかし 山梨県においては, 明治9年(1876) に独自の「県会条例」を定めて, 全国にさきがけて明治10年(1877) に独自に県会をこの一蓮寺において開催した。このときの議員は 34名の区長と34名の公選議員の計68名だったという。
府県会規則 に基づく正式の第1回山梨県議会は, 明治12年(1879) に開催され, 議員数は合計30名で県内各郡から 3~4名ずつが公選により選ばれた。
一蓮寺は14世紀の初めごろ(鎌倉時代)に創建された寺で, 元は広大な境内を有していたが, 明治初期に境内の一部が県に移管されて遊亀公園 となっている。
写真
碑文
山梨県議会発祥の地
山梨県知事 田辺圀男書
昭和五十二年五月七日 山梨県議会建之明治十年五月 当一蓮寺本堂の大伽藍を仮議場として山梨県最初の県会が開かれた
前年十一月に藤村紫朗県令によって制定せられた山梨県会条例及び同規則に基づき 議員構成は半数を区長 半数を公選とする過渡的な形態であったが まさに本県における近代的代議制度の黎明を告げるものであった
五月七日から十四日間 藤村県令自ら議長となって議事を進めた 府県会規則によって全国一斉に開かれた第一回県会に先立つこと二年前のことで 世はこれを十年県会または一蓮寺県会と呼んでいる
本年はこの歴史的県会が開かれて満百年になる この時に当り 山梨県議会は先人の偉業を偲び かつ議会制民主主義の一層の発展を誓い ここ由緒の地に碑を立てて後代に伝えることとなった よってここにその縁由を誌す次第である昭和五十二年五月
山梨大学教育学部長 磯谷正義 撰
一蓮寺七十二世 河野叡祥 書
三智石材 石坂義雄 刻