依田川 左岸 水利 事業 発祥記念碑
よだがわさがんすいりじぎょうはっしょうきねんひ
丸子町の中心地から西に盛り上がった壁の一角に、宝蔵寺岩谷堂が張り付くように設置されている。宝蔵寺に上がる石段下に2mほどの石碑が道路に向かって設置されている。
丸子に限らず、上田小諸あたりの千曲川左岸は起伏のある台地になっていて、豊富な水源があるものの川が谷底で利用が難しいというような地形が多く見られる。
依田村の中心地だった
なお、この事業に共通しているのか別事業なのかはよくわからないが、付近の台地では水利事業は生活を変える大事業だったとみえ、同様の水利に困り水を引いたという記念碑がいくつかみられる。
依田村は昭和30年(1955) に丸子町に編入。
丸子町は平成18年(2006) に周辺市町と合併して上田市となった。
写真
碑文
依田川
左岸
水利事業発祥記念碑農林大臣 井出一太郎書
御嶽堂用水は古来より内村川辰ノ口地籍から取入れ御嶽堂区内に導入使用してきたが其水量は少なく水田用水は勿論日常の水にも悩むこと度々であったさらに塩田地区への通水のために昭和十五年依田塩田両地区の代表による期成同盟会を結成し依田川本流導入の計画をした昭和十八年これが応急対策として岩谷堂下に揚水ポンプを設置し水田用水の不足を克服することが出来た
偶二ッ木隧道 完成を見昭和二十三年本流導入促進のため上流腰越区の協調を得左岸幹線の基礎を固め続いて工事に着手するに到った昭和二十六年依田川沿岸土地改良区の設立により三十年三月竣工を期として揚水ポンプの施設は撤去された 此地依田川導入の発祥の地なるが故茲に両地区同志相謀り本事業の由来を永遠に記念せんとして之れを建てる昭和三十二年九月
同志連名
(略)
発起人
(略)
丸子町林石材商會刻