横浜の 下水道の 始まり
よこはまのげすいどうのはじまり
横浜市中土木事務所には卵形下水管と共に「横浜の下水道の始まり」と書かれた石碑が建っている。
横浜が開港され、横浜の関内地区は埋め立てられ、外国人居留地として開発されていった。当時横浜の下水は、道路脇の掘割が利用されていたが、都市化が進むにつれ居留地の衛生管理が重要になり下水道の整備が求められるようになった。
令和元年(2019) 頃に入口左の三角形のデッドスペースから入口右の花壇に移設された。
詳細 → 近代下水道発祥の地
写真
碑文
横浜の下水道の始まり
ここに展示の構造物は、昭和56年2月に、中区山下町37番地先から発掘された卵形下水管である。
明治3年に関内居留地内全域に陶管を埋設した。これが、わが国最初の近代的下水道であった。その後、明治14年からこれをレンガ造りの下水管に造り変えた。その断面が卵形をしているので卵形管と呼ばれる。この時の卵形管の一部は、中華街南門通りで現在も使われている。