私立中学 関東学院 発祥の地
しりつちゅうがくかんとうがくいんはっしょうのち
京浜急行 黄金町駅から北西に400m。黄金町駅近くの初音町交差点から“藤棚浦舟通り”を北西に上ると、左手に関東学院(小中高校)がある。正門を入って右手の崖の上の新しい校舎を見ながら坂を上ると、右奥に古い建物が目に入る。これは現在使われていない校舎で、玄関の左横に、木立に囲まれて薄暗い中に「私立中学関東学院発祥の地」と刻まれた色も形もうっかり見落としてしまいそうな自然石の地味な石碑と、その足元に副碑が建っている。横浜市指定歴史的建造物(1992)の標柱も並ぶ。
この古い校舎は中学校の旧本館で、横浜市指定歴史的建造物。設計は根岸競馬場と同じくJ.H.モーガン。建物が老朽化したため平成20年(2008) 頃(?)から使用されなくなっているそうで、近い将来改築されるのかもしれない 平成28年(2016)度に解体再建。ちなみに現在の中学校と高校の校舎は、ここから更に階段を上った上の方にあり、小学校は一段下のレベルにある。小高い山の上に校舎群があるため高低差が大きい。
明治17年(1884) に米国バプテスト伝道協会が「横浜バプテスト神学校」を創立。翌18年(1885) には東京築地に「東京中学院」が、大正8年(1919) には横浜の三春台に「中学関東学院」が設立された。キリスト教を表面に掲げたため、“関東学院中学校”ではなく、「中学関東学院」となったといわれる。
関東大震災によって大きな被害を受けた「東京中学院」を昭和2年(1927) に合併して「財団法人関東学院」が設置された。
戦後の学制改革により、昭和22年(1947) に旧・中学部は「中学高等学校」に改組された。その後「関東学院大学」(経済学部・工学部)および「小学校」などがが設置され、昭和24年(1949)に「学校法人関東学院」となり現在に至っている。
【リンク】関東学院中学校高等学校
写真
碑文
関東学院の源流
私立中学関東学院発祥の地
校訓 人になれ 奉仕せよ
二〇〇九年 創立一二五周年記念
学校法人関東学院
1919年1月27日
ここに私立中学関東学院が開校した。
設立者は C.B.テンネー。院長は坂田祐。
4月9日、第1回入学式における坂田祐の告辞「人になれ 奉仕せよ」は、関東学院の校訓として受け継がれている。