土井氏一族 発蹟地
どいしいちぞくはっせきち
東海道本線 岡崎駅から西に2Km。六ツ美北中学校の西にある“土井町西”交差点の西で 県道78号線の北側に「社口司社」がある。 神社の入口右側に「土井氏一族発蹟地地」と刻まれた大きな石碑がある。
土井氏は 土井利勝に始まる。利勝は 徳川家康・家忠・家光の3代に仕え、37歳で下総古河16万石を与えられ、50歳頃老中に、65歳で大老に就任した。
利勝の没後、遺領は4人の子(利隆・利長・利房・利直)に分与され、さらに長子利隆の没後にも分与され、 4ヵ所の領地が引き継がれた。
- 古河土井家(利勝直系)
- 三河土井家(利長系)
- 越前土井家(利房系)
- 下総土井家(利直系)
- 常陸土井家(利益系)
写真
碑文
土井氏一族発蹟地
愛知県
(側面)
早乙女小左衛門利昌住此地■利勝為子因地名改氏土井■■
下総古河三河刈谷越前大野城主等称土井氏者皆其齋云
大正六年三月(裏面)
標柱建設費中心寄附者
金五円 旧下総城主子爵土井利與
金五円 旧三州城主子爵土井利美
金五円 旧越前城主子爵土井利剛
金壱百円 大字土井
岡崎観光文化百選
土井氏一族の発祥地幕閣で大老として活躍した土井利勝は、この地に住み、早乙女姓を名乗っていましたが、地名をとって土井に改姓しました。子孫は下総古河、越前大野城主等として活躍しました。
The Home of the Doi Clan
Doi Toshikatsu, who took an active part as senior minister in the Shogunate, lived here. He first called himself Sao-tome, but later he changed his family name to Doi. His descendents were the lords of Shimousa Furukawa and Echizen Ōno and other places.