越前の大名 朝倉氏 発祥の地
えちぜんのだいみょうあさくらしはっしょうのち
朝倉氏発祥地、養父市八鹿町朝倉地区は、とくに大きな観光開発をしたわけでもなく、広くない生活道路がが入り組んでいる。集落の中を進むと指定文化財
朝倉城
— kaisan36 (@kaisan36) 2018年8月18日
養父市八鹿町朝倉
越前朝倉氏発祥の地、朝倉集落南西の丘陵上位置します。鎌倉時代の朝倉高清を初代とし、城主は朝倉大炊となります。
①遠景。山頂の木々が伐採されているので、遠くからでもかなり目立ちます。
②登城口はこの幟が目印。集落墓地から登ります。
③地図
④現地案内板 pic.twitter.com/vEDcVheN0N
写真
碑文
越前の大名 朝倉氏発祥の地
養父市指定文化財 宝篋印塔 昭和四十三年七月三十一日指定
養父市八鹿町朝倉は福井市の
一乗谷 に城下町を作った大名朝倉氏の発祥の地です。孝徳 天皇の皇子、表米 親王を始まりとし、平安時代末期に地名を名字として武家の朝倉氏が興りました。源 頼朝 の御家人 となった朝倉高清を初代とし、一族から八木氏、宿南氏、奈佐氏などの多くの武将を輩出しました。朝倉城は集落の南西の丘陵上にあり、東西一九〇㍍、南北一一〇㍍の規模です。天正五年ころに
堀切 や竪堀 で改修し、守りを固めています。城主は朝倉大炊 です。この地は、トゲがなく風味と香りに優れた朝倉
宝篋印塔 はお経を収めた供養塔です。石材は凝灰岩 で高さは二三〇㌢、塔身に月輪と金剛界四仏の梵字を刻んでいます。室町時代、一五世紀ごろの造立です。山椒 の原産地です。慶長一六年、生野奉行は駿府 城の徳川家康に朝倉山椒 を献上しています。朝倉の地名が様々な由緒を育み、歴史の伝統と重みを現在に伝えています。平成二十六年九月
朝倉区・養父市教育委員会