袋井 近代教育 発祥の地 用行義塾
ふくろいきんだいきょういくはっしょうのち
東海道線 愛野駅から北西に約2Km。旧東海道(県道253号)を西に向かい、袋井東小学校の先で北側に入ると 袋井バイパス(国道1号)とのほぼ中間に、木造の屋根の付いた高札のような形の碑が建っていて、「袋井近代教育発祥之地 用行義塾」と書かれている。
「用行義塾」は 袋井で最初の近代教育を行った 私立の「郷学校」である。
福沢諭吉が慶応義塾を創設した後、慶応義塾は 地方学生の就学意欲に応えるために、 大阪・京都・徳島などに相次いで分校を置いた時期があった。 また一般の私塾においても“義塾”の名称を使うものが多く、明治期には全国に80を超える“義塾”があったことが知られており、「用行義塾」もその一つである。
「用行義塾」は 現在の袋井東小学校の前身で、1872(明治5)年 明治政府が学制を発布する直前に、民間の有志が共同出資して設立した。用行義塾の設立趣意書を刷った版木は 現在も袋井東小学校に保存されているという。設立の翌年 「公立久津部学校」が創立され 「用行義塾」もこれに引き継がれた。
1879(明治12)年 「公立小学刮目舎」と改称、その後 「刮目尋常小学校」「久努村立刮目尋常高等小学校」 「久努村立久努国民学校」「久努村立久努小学校」「袋井町立袋井東小学校」などの校名を経て、 1958(昭和33)年 「袋井市立袋井東小学校」となり現在に至っている。
現在の 袋井東小学校の校舎は、発祥碑のある場所から 約200m東の 袋井市広岡 にある。
写真
碑文
袋井近代教育発祥之地
用行義塾
用行義塾 は、「学制 」が発布される一年前、 明治五年(1872)に民間の有志が共同出資して設立した、 袋井で最初の近代教育を行う郷学校 と言われた学校です。袋井東小学校に残る
用行義塾 版木 に刻まれた設立趣意書 には、福沢諭吉 の「学問ノススメ」に強く影響され、 広く世界に目を見開き、教育の重要性を認識していたことが記されています。「設立趣意書」「学科」「規則」を刻んだ版木が
昭和五六年三月五日に袋井市指定文化財に指定
「日誌並先生方御出席控」「束脩教授料覚」
「出席教授優生姓名簿」国立史料館で所蔵説明板設置 平成六年一一月三〇日
袋井市教育委員会